萩の塚も師走を迎え、掃いた後から落ち葉が積もるようになってきた。朝6時になっても暗いため掃除には明るくなるのを待つ必要がある。
しかし待っていると仕事に支障が出るので、当分の間萩の塚行きは日曜日のみになりそうだ。
去年の夏萩の塚に登り始めた頃は、父や塚衆の想いを背負うような気概もあったが、最近は早暁の真っ暗な山中を一人歩くのも、萩の塚で抹茶を点て掃除をするのも、全てが自分の為だということに気づかされ、また実感するようになった。
大晦日まで残り1か月を切ったが、今年1年は毎週定日に萩の塚へ行くことができた。
父は94歳まで萩の塚に通ったのだが、私の今の状態を見ると80歳でも難しいように思う。
私が登らなくなったら、現世で見える萩の塚の姿は草生し枝に覆われることになるだろう。しかし私は般若心経の言う如く現世こそ仮の姿だと信じているので、異次元に移行したらまた萩の塚に登ってみたい。そこにある萩の塚は囲炉裏に薪がくべられ、真っ黒にすすけた南部鉄のヤカンから湯気が登り、火に照らされた塚衆面々の談笑できっと賑わっていることであろう。
ところで
萩の塚への途中にある「お律さん」と私が呼んでいる伊木忠榮室荒尾氏之墓掃除についてだが、お盆時期に一度掃除したが、この時期通る度に落ち葉が気になり先週掃除しに行って呆れたことがあった。
墓の横に小さな箒と熊手をビニール袋に入れて一つに括っていたのだが、箒だけが見当たらないのだ。誰かが使ってそのあたりに置いているのかと思い探してみたが見つからない。使用後は毎回箒と熊手をビニール袋にきちっと束ねて帰っているので、人為的以外に箒だけが無くなることなどあり得ない。
値段的には安い箒なのだが、そんなものを盗ってどうするのだろうかと思うが。はてさて操山には色んな人が入っていることを知らされる事件となった。
今日も無事に萩の塚に行くことができてこの記事を書いている 感謝