萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

今朝の萩の塚はツツジに彩られています

 

 

八重桜が散り、萩の塚にはツツジやシャガ、八重の山吹が咲くようになった。

この季節を満喫しつつ、一方でこれから温かくなるとまたまたムカデ対策の時期と

もなってくる。

 

 

秋が落ち葉と言うよりも落ち葉は年中落ちてくる。2週間も掃除をしないと落ち葉だらけになってしまう。もちろん荒れた天気の後は言う間でもない。

 

私は目に見えるものだけが全てではないと信じており、掃除の行き届いた萩の塚にハイキングで訪れた方達へ、そして自分の目には見えない萩の塚衆の面々にも、気持ち良く過ごしてもらいたい思っている。

 

 

そしてなにより

私にとっての萩の塚は、

下界で過ごした1週間の濁気を浄化してくれるありがたい場所なのである。

萩の塚の掃除こそ清々しい一日の始まり

 

今までは萩の塚に6時台に行っても暗くて掃除が出来ないため家を遅めに出ていた。

しかし最近は夜明けが早くなった為、今までと同じ時間に家を出るとすでに外は薄明るくなっている。

やがて息を切らして萩の塚に着いた頃には綺麗な朝日が塚を照らす。

 

 

 

塚に向かって手を合わせたあと、塚主さんと塚衆に抹茶を出す。しばらくゆっくりした後に自身も抹茶を一服すると、ぼちぼち掃除にとりかかる。

 

 

まず落ちた枝やうっかり落としたと思いたいお菓子の入れ物やビニール袋空き缶などを拾う。それから葉っぱを箒で掃いた後に、熊手を使って枯山水庭園のように模様をつけて掃除は完成する。

 

 

 

 

こうして萩の塚から清々しくて素晴らしい一日が始まる

 

 

令和6年(2024年)萩の塚からの初日の出

 

 

 

元旦 素晴らしい日の出が見られた。

塚の前で抹茶を点てて飲んでいると、数分間隔で3組の方が来られた。私も初日の出を見に来られたのだとわかっている。

1組目は高校生ぐらいであろうか、明るくなりかけた光の中で賢そうな男の子と、髪の長いきれいな女の子のカップルであった。

男の子の方から勇気を出して「初日の出を見たいのですがどこがいいですか」と、私に声をかけてきた。

私は「初日の出なら、向かいの尾根の旗振り台がきれいに見えるよ、そこの坂を下っていったら行けるから」と返事をすると、彼らは会釈をして立ち去った。

2組目はお父さんと小学校3年生ぐらいの親子で、近づいてくると塚の上に登って日の出方向を見ているから

「旗振り台から見る方が遮るものが無いからいいですよ。おそらく沢山の人が行っていると思います」と私の方から声をかけた

「やっぱり」とお父さんはそう言って立ち去って行った。

3組目は一人の中年男性で、私と目を合わせないようにして挨拶の返事もせず、塚の中に入ったり、塚の上に上がって双眼鏡を取り出して日の出を見ようとしているので、

「旗振り台から見る方が遮るものが無いからいいですよ」と声をかけると、

私を見ようともせず 「何年か前にあそこには行ったことがある」そう言って

立ち去って行った。

私は素晴らしい日の出に照らされて新年最初の萩の塚の掃除をいつもと変わらずに行った。しかしこの日はいつもとは違った出来事が萩の塚に有ったことがなんとなく嬉しかった。

 

おのころ坂についての その後

             2023年 10月29日  日の出

 

おのころ坂工事の問題点について林野庁岡山市岡山県などに萩の塚通信のコピーを送ったところ、林野庁から「その件について説明をしたい」と言った内容のお電話をいただいた。

11月2日に林野庁の方3名と岡山市沢田の里山センターでお会いし、20分程度お互いの意見を述べた上で、現地のおのころ坂に向かった。

 

結論から言えば、改修工事の計画と設計段階で、おのころ坂の景観や雰囲気、歴史など数十年数百年かけて造られたことを十分に把握、理解されないままに、ただ傾斜や水の流れなどのみで判断して工事が行われた。その結果おのころ坂は改修工事前に比べて、歴史景観や雰囲気は失われ、さらに転倒しやすいなど安全性も損なわれる結果となってしまった。しかし工事で失ったものを元に戻すことは出来ないので、林野庁側としてはこの教訓を今後に生かしていきたい。ということとなった。

 

おのころ坂は、操山のほとんどの場所が歴史、景観。雰囲気といったものが失われていく中で、それらを味わうことの出来る数少ない場所であった。ただ工事前のおのころ坂の価値や雰囲気を知っていて、その変貌ぶりを問題視する人はまずいない。すでに工事後のおのころ坂が当たり前として上下している人達になっている。

 

造り上げるには時間を要し、失われるのは一瞬である。残された写真だけが嘗てのおのころ坂を伝えるのみになってしまった。

 

ただ色即是空 空即是色の視点でみればそれさえも問題では無いのかもしれない。

 

 

今年も三勲神社跡地に萩の花がきれいに咲いてくれた

 

 

 

おのころ坂の改修工事は、いったい何の為に行われたのだろう。

(※ 本編記事は2022年5月に書かれたものだが、記載時から1年4か月が経過し、おのころ坂の状態がさらに悪化している。改修工事からわずか1年数か月しか経っておらず本来ならまだまだ改修後の新鮮なおのころ坂のはずだが、現状は本来山林を守る立場にある管理者が改修工事をしたことによって、景観も安全性も改修工事以前に比べて格段に悪化した状態に変貌している。そこでこの記事を管理者その他公的な機関にも送付するつもりで、操山について知識のない人にも知ってもらえるように、2023年7月及び9月時点の写真を挿入し加筆した。)

 

 

岡山市中区の市街地に囲まれて標高169メートルの操山(みさおやま)と言う山がある。その西側の登山口から三勲神社跡を通り尾根伝いに山頂に向かうと、山頂のすぐ手前に戦前から ※萩の塚衆が、おのころ坂と称す坂がある。

(※萩の塚衆とは戦前から早暁に操山で茶会をしている人達で、今は年齢的に自然消滅している)

その坂の歩道整備改修工事が今年(令和4年 2022年)1月初めから2月半ばにかけて行われたことは前々回2022年2月23日の記事に書いた。

 

下の写真photo1は改修工事中の写真  

 おのころ坂の起点にあたる場所である。江戸時代におそらく岡山池田藩によって御林と刻んだ石が、集積された階段用プラスチック樹脂棒と重機との間に見え、そこに木片が立てかけてある

photo1 2022年1月16日撮影                     工事中

  

photo2 2022年1月16日撮影                    工事中

                                                              

photo3 2022年1月16日撮影                    工事中

                                                                        

 

三勲神社側の登山口からおのころ坂に至るまで、重機の通った跡の道の荒れはひどく二度と重機で踏み荒らして欲しくないので、今回でおのころ坂工事は完成したものとして以下の話を進める。

 

photo4    2022年1月16日 撮影    重機によって掘削された道     工事中

 

 

おのころ坂は周囲の景観や雰囲気など、改修工事前まではとても味わいのある美しい坂だった。そして明治大正生まれの萩の塚衆が老体に鞭打って登ってきた特別な坂でもある。

 

 

下の写真photo5は工事前の写真で味わいある雰囲気の おのころ坂である  

photo5 2020年5月3日撮影                            工事前  工事1年9か月前    

 

 前回のおのころ坂改修工事がいつだったのか定かではないが、少なくとも15年ほど大きな改修工事は行われていないだろう。操山は人間が周辺に住み始めて以来自然と人とが共存するとても身近な里山としての役割を歩んできた。タヌキ、ムササビ、ブッポウソウ,カッコー、マムシ,アオダイショウその他。私の子供時分昭和40年頃まではマツタケが採れて、採れる場所の入札が行われていたし、今でも栗やヤマモモは採れる。人との関わりが近い山なので、当然歴史と関わった操山には、古墳時代に造られた古墳が百基以上あちこちに露出して在る。おのころ坂を登ったすぐ先の頂上にも古墳がある。戦国時代には山城が築かれ、操山は三村氏と宇喜多氏の命運を決した明禅寺城の戦いの古戦場でもある。こういったことから、今ある山道の大半はかなり古い時代から有ったと考えられる。

現在でも操山の見える岡山の人達にとって、操山はたとえ低山であっても懐かしくて有り難い故郷の山なのである。

 

戦後操山の所有は国有林、市有林、私有林に分かれ、管理者によって自然休養林もしくは操山公園と位置づけをしている。

管理者側が故郷の山、里山といった要素を重視するか、公園という要素を重視するか。操山をどういった形に位置づけるかによって、山の道作りそのものが違ってくるだろう。近年ではおのころ坂のように径では無く道としての拡張と整地が進められ里山といった要素はすっかり姿を消した。それに伴って短パン、ランニングシャツにサングラス姿でランニングする人が急激に増えている。

 

さて、おのころ坂の起点(登り口)には前出したように、岡山池田藩が立てたと思える御林と書かれた石碑が立っている。このことからもおのころ坂が古い時代から使われてきた歴史ある坂であることが伺える。

 

photo6  2022年5月5日撮影          御林 文字の刻まれた石碑

 

 

現在おのころ坂あたりの維持管理はおそらく林野庁の近畿中国森林管理局岡山森林管理署が自然休養林として行っていると思える。ただし道案内には岡山市と岡山森林管理署の連名で書かれているので、責任の所在にも関わることから以後は単に管理者と呼称する。

さておのころ坂は今回の改修工事までは階段も周囲の景観に配慮して、photo5のように良い雰囲気と美しい景観が保たれてきた。

私は工事前のおのころ坂の姿景観をあたりまえとして来ただけに、工事後おのころ坂を通る度、工事によってすっかり失われてしまった景観や雰囲気を見ると、「なぜこんなことをしたのか?」と今回の整備事業に関わった人たちの景観保全や歴史保全への意識の低さと共に、安全性に対しても強い疑問を抱くようになった。

工事の主目的だったはずの安全性については、工事からわずか数か月しか経っていないのに道の劣化状況は驚きである。これまで行われてきたおのころ坂改修工事と比較しても、明らかに劣る工事内容ではないだろうか。

そこで工事前のおのころ坂の記憶と自身で撮った写真を基に、客観的な事実の記録として今回記事を書くことにした。

 

 

下の写真photo7は整備事業工事の完成3か月後である 同じ辺りを撮影した工事前の写真  photo5と比べてみて欲しい。(下のphoto7の下にphoto5を張り付けているので参照)

この2枚の写真は撮影季節も一緒である。photo5にみられるような味わい趣きのあったおのころ坂の美しい景観や雰囲気は、工事後たった3か月で見るも無惨な状態になってしまったのがよくわかる。

一般には出来たばかりの道は気持ちが良くて通ってみたくなるものだが、まるでそう思えないのは私だけなのだろうか。今一度photo5とphoto7の写真を見比べてみていただきたい。 この2枚の写真に今回の問題点の全てが表されている。   

                                   

 photo7 2022年4月29日撮影             工事後   工事3か月後 

 

photo5 2020年5月3日撮影         工事前    工事1年9カ月前

 

                     
今回行われた工事の正式名称は操山自然休養林歩道整備事業である。工事を行った理由は、普通考えれば入山者が坂の上下がし易いように老朽化した階段を整備改修し、安全で快適なものにすると言うことだろう。ただし工事期間が年度末であり、photo7で見られるように杜撰とも思えるような設計施工なことから、世間一般に言われるように、年度予算消化の為に行われた工事ではなかったのか。とか、入札業者との癒着ではないか。とか。これらについては工事に至る仕組みがわからないので謎でしかない。

ただ現実として歴史と味わいある美しいおのころ坂は、今回の工事によって悪い意味で変貌してしまったのだけは事実だ。

 

photo8 2022年1月16日撮影                  工事中

           

 

 さて、今回の整備事業工事には大きく2つの問題点がある。

1、景観保全の問題  2、安全性の問題 である

 

ただし地面掘削工事等によって土流水が流れ出て起きる地面の変貌は、景観と安全両方に関わるので、上記2点の問題は分けずに写真を本に以後問題点を述べる。

 

 

今回の操山歩道整備事業以前のおのころ坂は、photo5のように一定幅の木製階段が坂の下から上まで設けられ、静かで落ち着いたおのころ坂の雰囲気を形成していた。これはおのころ坂の長い歴史を知らずとも、過去数十年間の管理者の努力と、おのころ坂を歩く人たちの故郷の山に対する気持によって、美しい景観が保たれてきたのだろう。この事は今回工事の管理者にも強く意識をして欲しかった点である。

 

国有林は国民の財産である。おのころ坂を管理する立場の責任者担当者は、当然現地を歩いて景観や雰囲気を視察する必要があるし、入札するにしても過去行われてきた工事について検証した上で行われるが当然であろう。また工事完成の確認は監督官である管理者が承認して初めて完成したと言える。だから今回の杜撰な工事の責任の大半は管理者にあるのではないかと想像する。

少なくともおのころ坂は過去数十年間管理者を含めた人々の努力によって、美しい景観が保たれてきたのは事実である。

 

 

以下からは、おのころ坂の登り口から坂の頂上に向かって登っていくような形式で、改修工事前、改修工事中、改修工事後のそれぞれの写真を見ながら変化の状態を観察する。

 

 

⓵(景色範囲) おのころ坂登り口 起点 辺り 

 

下にあるphoto9、photo10、photo11の3枚の写真は今回の工事前と工事後のほぼ同じ辺りを撮影した写真である。おのころ坂の起点から階段を中心線にして下から見上げる形で撮影している。

 

 

下の写真photo9は工事前の写真で工事の1年1か月前に撮ったものである。季節は冬で落ち葉に埋もれているおのころ坂風景である。丸太で作った同じ幅の階段が周囲に溶け込んでいて景観の邪魔をしていない。歩行時に葉っぱを踏んだ感触が適度に心地良かったのを覚えている。

photo9  2020年12月27日撮影             工事前   工事1年1か月前

 

下の写真photo10は工事後3か月経過した写真である。地面が剥げて見える。歯抜けのように樹脂棒階段や土嚢階段が有り、photo9にあった統一感がまるで無い景色だ。安全面では地面の土が雨水で流されて滑りやすそうな地面と溝の段差が見えている。

photo10 2022年5月5日撮影          工事後      工事3か月後

 

photo11はphoto10の1年2か月後。地面の土が濁流でさらに流され掘れ、表面には水に流されない大きさの石が目立って見える。景観的にはおのころ坂のかつての味わいと美しさを知る者にとっては驚きの風景である。安全面でも道の中央部が濁流で谷のような形に凹んできており、足元は滑りやすく石を踏むので靴底が厚い靴でないと歩きにくい。

photo11 2023年7月30日撮影       工事後      工事1年5か月後 

 

 

上の3枚の写真は撮影した季節が違いphoto 9は落ち葉で覆われ、他は土が剥げて見える差だと見えるかもしれないが、先に挙げたphoto5とphoto7とは撮影した年は違うが季節は同じで、しかも撮影日はたった4日間の差にすぎない。なのに景色と雰囲気にはあまりにも大きな違いが見られる。

 

 

 

今回の改修工事の特徴としては、今までおのころ坂の下から上まであった木の丸太で作った階段を全て撤去した上で、材質の違った階段を部分的に設けた点だ。

樹脂棒の階段部分が5か所造られ、その前後に土嚢階段部分と階段の無い部分という様に作り変えた。その為長年保たれてきたおのころ坂全体が持つ統一された雰囲気や美しさは、残念ながら設計の段階で検討から外されたようだ。今回階段材料に用いられた土嚢は本来緊急時に用いる材料であって美的景観を損なうのは当たり前であろう。

 

場所によっては5、6人横並びでマラソンができそうな4メートルほど長さがあるプラスチックの樹脂棒階段があると思えば、狭い場所にはそれを補うためか、明後日の方向に丁寧に付けられた樹脂棒階段部分が有る。その前後には工事後すぐにすり減って破れ転倒する危険のある土嚢階段と、階段の無い部分がある。階段に使用する材質も長さも方向もまるで統一感が無く、堅牢な材質と転倒を誘う危うさが混在する設計と工事になっている。

 

 

②(景色範囲)おのころ坂の起点部からやや登ったあたり。起点部と※背もたれ岩※の間

 (背もたれ岩※おのころ坂の下から4分の1あたりの円い岩)

 

 

下は前出の工事前に撮影されたphoto5の写真である。

注目したいのは、地面の状態、土の状態である。

 

上に見られるように長年にわたって踏み固められた土を重機で掘り返すとどうなるのか

photo12 2022年1月16日撮影                  工事中


photo13 2022年4月29日撮影     工事後  わずか2か月後の地面である

 

photo14 2023年7月11日撮影 工事後  photo13から1年3か月後の地面である

 

背もたれ岩の下にある樹脂棒下あたりの地面である

photo15 2023年7月11日撮影        工事後   工事1年5か月後

上の写真photo13とphoto14は土が崩れて穴があいている。

 

 

さて

photo5の写真が示すように長い年月かかって踏み固められた表層の硬い土を、今回の改修工事では重機によって大掛かりに取り除いた上で、他から持ってきたまたは移動させた土を利用して、樹脂棒階段や土嚢階段を作って階段の形を上部だけ整える工事が行われた。

つまり重機で固めたつもりでも新しく持ってきた表層の土は柔らかく脆い。だから雨が降ったら流水に混じって表層の土が流されてしまう。そしてphoto13のように工事後わずか2か月で溝が出来て変貌し、photo14、15のように1年5か月経つと土が崩れて穴が開いてしまったのだ。重機で破壊した途端に自然とのバランスは崩れて、おのころ坂の土の崩壊が止まらなくなっている.

こうなると今回着工した操山自然休養林歩道整備事業の主目的であるはずの安全面さえ工事前よりはるかに低下してしまっている。

さて、安全面まで犠牲にして

おのころ坂の改修工事は、いったい何のために行われたのだろう か!

 

 

下の写真photo16はphoto13.14,15に映っている背もたれ岩の下に見える13段のプラスチック樹脂棒の工事中の姿である。そばに立つと5,6人横並び出来そうに立派な樹脂棒階段である。この写真の時点では樹脂棒は地上に1本しか見えていない。

photo16 2022年1月27日撮影 長尺の樹脂棒階段        工事中 

 

下の写真photo17は上の写真photo16と同じ場所の樹脂棒を撮影したもので、photo16撮影時点からからわずか3か月後である。樹脂棒階段の土台部分が流されて顕わになり、プラスチック樹脂棒が縦に2本重ねて作られていたことがわかる(上部の円い岩が背もたれ岩)

photo17 2022年4月29日撮影          工事後  工事3カ月後  

 

下の写真photo18は改修工事3か月後 樹脂棒階段と背もたれ岩の間には土嚢階段が見える

photo18 2022年5月5日撮影          工事後  工事3か月後

 

下の写真photo19は改修工事1年5か月後の様子。 土嚢階段は完全に消失して道には穴が開いている

photo19  2023年7月11日撮影       工事後   工事1年5か月後

 

photo20 2023年9月24日撮影       工事後   工事1年7か月後      



下の写真photo21は改修工事前の写真である 工事1年9か月前の上から下を見た景色で、背もたれ岩の左横に今回の工事で撤去された丸太作りの木製階段が見えている

photo21 2020年5月3日撮影        工事前  工事1年9カ月前

 

下の写真photo22は上の写真と同じ場所。木製階段を撤去して1年7か月経過

photo22 2023年9月24日撮影       工事後   工事1年7か月後 

 

 

 

③(景色範囲)おのころ坂中央部のなだらかな勾配あたり

 

今回の改修工事ではここも木製階段をすべて撤去して土嚢階段に付け替えている

下の写真photo 23は工事前の写真である  改修工事4か月前 

背もたれ岩を背にして坂の上に見えるドン付きの岩を望む。改修工事前は同じ長さの丸太の階段が続いている。勾配はなだらかで歩くのに支障はない辺りである。階段に頼って登る場所ではなく、このあたりの階段に使用した丸太は着地時のストッパーの役割となる。

photo 23 2021年9月9日撮影      工事前   工事4か月前

 

下の写真photo24は工事後 工事2カ月後である。上の写真photo23に見られる階段に使用した木製の丸太をすべて撤去して、土嚢の階段に付け替えられている。

photo24 2022年4月29日撮影            工事後   2カ月後

 

下の写真photo25は改修工事後1年5か月経過 上のphoto24と同じ辺りの写真である。土嚢階段は消失してしまっている。道には土嚢階段があった跡の凸凹部分と、流水による跡が見えている。

photo25 2023年7月11日撮影         工事後   1年5か月後

 

下の写真photo26は工事前の写真である  改修工事5か月前 

photo23、24、25と同じ辺りを坂の上側から下方向に向かって撮ったもの。

photo26 2021年8月25日撮影         工事前   工事5か月前

 

下の写真photo27は工事1年7か月後のphoto26と同じ辺りである

photo27 2023年9月24日撮影        工事後   工事1年7か月後

 

下の写真photo28は工事前の写真である 

階段の丸太上部だけが見えていて下部は土に埋もれて段差が無く歩きやすい場所だ

photo28 2021年9月12日撮影        工事前   工事1年5か月前

 

下の写真photo29は上のphoto28と同じ辺り 

photo29 2023年9月24日撮影       工事後   工事1年5か月後

 

下の写真photo30は、なだらかな坂を登ったドン付きにある岩の、すぐ下にある土嚢階段と樹脂棒階段部分である。

ここから上はドン付きの岩の左を巻いて登る細い道になる

photo30 2022年4月29日撮影          工事後  工事3か月後

下の写真photo31は上のphoto30と同じ時期、同じ場所である

photo31 2022年5月5日撮影           工事後  工事3か月後

 

下の写真photo32はphpto31の1年2か月後。土嚢階段は消失し滑りやすい要注意ケ所になっている

photo32 2023年7月30日撮影       工事後   工事1年5か月後

 



④(景色範囲)おのころ坂を4分の3ほど登った坂の上部にあたり、最も狭い箇所である。ドン付きの岩の左を巻いて登る。

 

 

下の写真photo33はこの辺りを写した工事前の写真である。上方から下にあるドン付きの岩方向を見ている。この写真を本にして工事後の変化を見てみる

photo33 2021年9月12日撮影       工事前    工事4か月前   

 

上のphoto33の写真には同じ幅のしっかりした木製階段が映っている。

私の記憶ではこの部分にのみ近年改修工事が入った覚えがあるが、それこそ管理者の知るところである。私の記憶が正しければ、この時の部分工事では写真の通り今回の工事のような地面や景観に損傷を与える工事方法は採らなかったのではないか。下に工事後の写真を掲載するがphoto33のこの写真は土が暖かく見える。腐葉土の柔らかさかもしれない。

 

下の写真photo34は上のphoto33と同じ辺りの工事3か月後である。工事前の階段に使用した丸太棒は全て取り去り、土嚢の階段に付け替えられた。

photo34 2022年5月5日撮影         工事後   工事3カ月後

 

下の写真photo35は上の2枚の写真と同じ場所の改修工事1年5か月後である。土嚢は全て破れて土になり階段は消失して、土の斜面だけになっている。この場所の歩行は大変滑りやすく注意を要する。工事前と比べて景観がいびつに変わってしまった。

photo35 2023年7月30日撮影         工事後   1年5か月後

 

 

下の写真photo36はphoto33~photo35辺りを重機で工事している様子。手前は工事中のう回路である

photo36 2022年1月16日撮影                  工事中

 

下の写真photo37は上のphoto36の工事現場を上から見た所。右側の茶色がかった所がphoto33に写る丸太の階段部分である

photo37 2022年1月16日撮影                  工事中


        

下の写真photo38は上のphoto33あたりの狭い場所に樹脂棒階段と土嚢階段を造っているところだが、樹脂棒が左端に2本見えているi意味は。写真photo 45で理解できる。

photo38 2022年2月6日撮影                 工事中

 

下の写真photo39は上の写真photo38から2か月後の同じ場所である

photo39 2022年4月29日撮影         工事後  工事3か月後

 

下の写真photo40は上の写真photo39と同じような角度から撮影。photo39から1年5か月後。土嚢階段は完全に消失し荒れた地面になっている

photo40 2023年7月16日撮影         工事後   1年5か月後

 

下の写真photo41は上のphoto40と同じ辺りだが角度が違う 工事後3カ月経過

photo41 2022年4月29日撮影       工事後  工事3カ月後

 

下の写真photo42はphoto41と同じような角度から撮影。photo41の1年5か月後。photo42は上のphoto40と同じ時期と場所だが、晴れると地面が乾いて大変滑りやすくなっている。

photo42 2023年7月30日撮影      工事後   工事1年5カ月後

 

下の写真photo 43は上から下を見下ろすアングル。狭い辺りに造った土嚢階段と樹脂棒階段が見えている

photo43 2022年4月29日撮影        工事後   工事3カ月後

 

下のphoto44はphoto43と同じ辺りの1年4か月後である

photo44 2023年9月10日撮影       工事後   工事1年7か月後



下の写真photo45では狭い箇所を補うのに樹脂棒階段を右の森の方向に向かって横にもう1本足した箇所が8段ある。photo38の横に見える樹脂棒は森に向かう階段部分に付けたものだ。

無駄に見えるような丁寧な階段を造る一方で、他の場所には土嚢階段が崩れて滑りやすい箇所が沢山あるので、この8本はそちらに回した方が良いのではと思える。また土が流れた地面の亀裂や、土嚢が擦り切れる転倒の危険個所がある一方で、ここだけ丁寧に造っており、管理者の当初の設計はいったいどうなっているのだろうか。

 

photo45 2022年4月29日撮影        工事後   工事3か月後

 

下の写真photo46は狭い部分を降りてきて、土嚢階段の先にドン付きの岩が見えている。

photo46 2022年4月29日撮影        工事後  工事3か月後

 

下の写真photo47は上の写真photo46と同じ場所の1年5か月後。土嚢は完全に消失している。道の荒れは景観の美しさに大きく関わるのがよくわかる。

photo47 2023年9月24日撮影      工事後   工事1年5か月後

 

下の写真photo48は上のphoto47を下から見た所。ドン付きの岩とその左横に土嚢階段が見えている。

photo48 2022年4月29日撮影        工事後   工事3か月後

 

下の写真photo49は上の写真photo48と同じ場所の1年5か月後である。 土嚢階段が消失して滑りやすい地面に変わっている

photo49 2023年9月24日       工事後   工事1年5か月後



 

⑤(景色範囲)狭い箇所を抜けておのころ坂最上部まで


下の写真photo50は狭い箇所から上に出る所。おのころ坂最上部が見える

photo50 2022年4月29日撮影        工事後   工事3カ月後

 

下の写真photo51は上のphoto50と同じ場所の1年3か月後。土嚢はすべて崩れて滑りやすくなっている

photo51 2023年7月30日撮影       工事後   工事1年5か月後

 

 

下の写真photo52はおのころ坂頂上から下に向かって撮影した工事中ものである。

大掛かりで丁寧に土を固め整形した土嚢階段であるが、土嚢は美的な要素の全く無い材料だ。この景観が自然になじんで美しいと感じるだろうか。

photo52 2022年1月16日撮影            工事中

 

下の写真photo53は上のphoto52の3か月後である 

今回の工事では土嚢は3か月前後で擦り切れるか破れてきた。

photo53 2022年5月5日       工事後   工事3か月後

 

下の写真photo54は工事後3カ月も経っていないが、土嚢が破れてスリップした跡がある。土嚢階段の土嚢が破れてくると単に斜面に過ぎず、土が乾燥するとスリップして転倒の危険性が出てくる。

 

土嚢はあくまで緊急時に使用するものであって、景観としては最悪である。おのころ坂の工事は緊急事態の工事ではない。この材料を選択した時点で数か月後の歩行時の危険性と、景観についての見識を管理者自身が持ち合わせていないことになる

知っていてこの材料を選んでいたとしたなら、とても悪質な行為である。

 

photo54 2022年5月5日         工事後   工事3か月後

 

下の写真photo55は 上の写真pohoto54から1年5か月後の同じ場所。大掛かりで丁寧に作ったはずの土嚢階段は完全に破れてもはや階段とは呼べない。

photo55 2023年7月16日撮影      工事後   工事1年5か月後

 

下の写真photo56は上のphoto55を下からの角度で撮影したものである。

photo56 2023年7月16日撮影     工事後   工事1年5か月後

 

下の写真photo57は、おのころ坂最上部の土嚢階段photo55の下に作られたプラスチック樹脂棒階段との境部分で、すでに土嚢階段は無い。おのころ坂頂上が見えている。

photo57 2023年9月10日      工事後   工事1年7か月後

 

下の写真photo58は、おのころ坂最上部photo57に見えるプラスチック樹脂棒階段と土嚢階段である。工事後2カ月少々経過

photo58 2022年4月29日撮影      工事後   工事3カ月後

 

下の写真photo59は上のphoto58と同じ階段を写した1年3か月後である。土嚢は破れて道は凸凹になり地面に穴も見える。

photo59 2023年7月30日撮影     工事後   工事1年5か月後

 

以上がおのころ坂を下から上に登った形で、工事の前と後とを比較したものである。

操山にも管理者の作った自然保護に対するスローガン、説明文、注意書きが各所にあるが、この道作りでは管理者自身がそれを問われているように思われる。


終わりに

 

管理者側が故郷の山、里山といった要素を重視するか、公園という要素を重視するかで道作りは変わってくると冒頭書いた。

単純に例えて、山には自然と径が在り、里山は自然と人そして径と道の共存、公園には人工物と道が在るとすると。

操山と言う名の通り操山を山と考えれば自然そのものである。だが有史以来人間は操山と関わり、人は途切れることなく入山してきた。だから遠い昔から操山には径と共に道があったはずだし階段さえ作ったかもしれない。だからと言って人がなんでもやっていいわけではない。これは程度の問題だ。人が自然と共存するためには、自然への破壊行為を最小限に止め径を残すことも人の課す義務ではないだろうか。これは操山を公園化しようとする人たちの課題にもつながる。今まで祖先が私たちに操山という財産を守り残してきてくれたことを、私たちが子孫にどう守り受け渡すのか問われるからだ。

 

おのころ坂は尾根筋の主要道に有る。とても古い時代から人が歩いて踏み固められた道のはずだ。その道に無造作に重機を入れた途端に土の崩壊が始まった。おそらく重機で土を取り除いた下の硬い土の層までは崩れるだろう。

 

2022年の1月から2月にかけて管理者が主体になって行われた。操山自然休養林歩道整備事業のおのころ坂部分の整備事業については、整備事業ではなく景観を含めた人為的な破壊ではないだろうか。。管理者としてそれをどう考えるのか問うてみたいし、各方面にも尋ねたいと思っている。

石川啄木が「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ通り

操山を管理する方達が地元の山を大切にする気持ち。山に感謝する気持ちがあれば防げただろう。

静かで落ち着いた美しいおのころ坂の景観こそ、後世に残したい財産であった。

 

 

 

 

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夏は来ぬ

 

このところ雨がひどくて日本列島各地に被害をもたらした。

萩の塚に大きな被害は無かったが、それでも腐った大きな枝が雨後毎週のように落ちている。

この時期は暑くて護国神社側から登ると、萩の塚南坂の半分あたりでヘロヘロになる。80代90代の老人が登っているのを思いかえしては、ヘロヘロの情けない自分にはっぱをかけて、今日もなんとか萩の塚にたどり着いた。

 

今の季節萩の塚正面のクチナシが真っ白な花をつけていてとてもきれいだ。それが朝日にあったって輝いて見える。

 

 


萩の塚衆に抹茶を点て私もゆっくりと一服したら。帰り支度をして掃除をはじめる。

昨年ムカデと相当やりあったので、今のところ塚内では2匹しか見かけていないが、最近は掃除後にキンチョーを撒くと必ず3匹は大きなゲジゲジがはい出てくる。

死骸はないので死んではいないようだ。

 

 

ゲジゲジは人間に害は無いらしいが、決して可愛い姿とは言えない。

 

これが夏の萩の塚の日課である

五月

 

夜の明けるのが早くなり家を5時に出るようにしている。

先週雨が続いた翌日に萩の塚に行くと塚の入り口に大きな水溜まりが出来ていた。

そこで抹茶を一服してから。水捌けを良くする溝を掘ることにした。やってみると根が張っていてそう簡単にはいかないことがわかった。それでも根を切るのに泥が飛び散って服がドロドロになりながら、何とか水を逃がす細い溝ができた。

あとは少し時間をかけて目立たず根で躓かないようなものにしていこうと考えている。

 

 

また嬉しいことに昨年移植した萩が葉っぱをつけている。

去年は虫に葉が全て食べられて細い枝だけになり、死んだのかと心配したのだが、しっかりと生きていたようだ。今年は虫にやられないように薬を撒かなければならない。

 

萩の塚は変わることなく自然と共にある。