萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

令和8年 1月4日 素晴らしい日の出に祈る


例年は元旦の初日の出に合わせて萩の塚に行っているが、今年は家での朝の準備の都合上元旦には登らず、4日の日曜日が今年最初の萩の塚となった。

気にかかっていた登山途中にあるお律さんの墓掃除も暮れに済ませたので、すっきりした気持ちで萩の塚に着いた。

塚衆が居た頃の元旦は抹茶談義に少し酒が出て、寒い中でも顔を火照らせて旗振り台に行って、初日の出を拝んでいた。

 

 

 

 

 

これは16年前の写真だが、これを見ていると人の一生など実に短いものだ。

この時の父が90歳。

 

やがて私も写真には写らなくなるのだが、死への恐怖も老いへの虚しさも何も無い。

今年1年も萩の塚に行ける。今はそのことが嬉しい。 

 

 

暦の上では立冬も過ぎ、木々は冬を迎えるために萩の塚も枯れ葉に覆われる毎日となった

 

夜の明ける時間もすっかり遅くなり、昨日は朝5時37分に家を出て山に入った時刻が6時ちょうど。護国神社の神事を知らせる6時の太鼓が鳴ったとほぼ同時に山に踏み入り、今シーズン初めて懐中電灯に明かりを灯した。

萩の塚に着いたのが6時23分

 

 

暦の上での立冬は11月7日だったようだが。気象庁では冬を12月1日から2月28日までの期間としていることを調べて知った。

萩の塚に着くと、まず感謝のお祈りをしてから抹茶と饅頭をお出しし、私も抹茶を飲んでしばらくゆっくりとする。

 

 

 

それから掃除にとりかかる

先週日曜日に大阪に行ったため萩の塚は2週間ぶりになった。その為地面が枯れ葉ですっかり覆われている

 

 

 

ついでに夏秋で伸びた枝葉を刈り揃えた

 

 

塚の中では塚衆がよもやま話をしているであろうが、お開きとしてもらい

一緒に帰るよう声かけをする。

今日は天気もよくて良い萩の塚日和となった、

 夏の萩の塚 2025

 

 

夏の季節、当時塚衆の面々は朝4時過ぎに麓に集合していた。

私はと言うと、昨年2度だけ朝5時に萩の塚に着いたのが最も早い記録で、最近は朝5時に起きて仏壇にお供えをしてから出かけているので、私の萩の塚到着時刻は、昔なら塚衆の面々はとっくに帰路ついていて誰も居ない時間である。

 

それでも塚に着くとリュックからごそごそと茶道具の入ったタッパーと熱い湯の入った魔法瓶を取り出して、抹茶を点てるのだ

 

 

 


この時期は
例年蚊に悩まされ、蚊取り線香が欠かせない。だが今年は案外蚊が少ないように思う。私の仮説だが、自身のズボラによって塚に到着する時間が遅くなり、すでに太陽が照っていて蚊の活動しにくい時間帯に入り、「例年より蚊が少ない」。と言うのが見解だ。

 

 

 

山桃の実があちこちに落ちている。

 

 

 

昔は父が採ってきたヤマモモの実を母が焼酎に漬けてヤマモモ酒を作っていた。梅干を漬ける用途のガラスで出来た大きな入れ物で、昨年物置を片付けた時にその瓶を見かけた記憶がある。熟した山桃の実はそのまま食べてもとても美味しい。むろん山桃酒としても美味しいのだが、山桃の実も山桃酒も私が知らないだけなのか売っているのを見たことが無い。今も山で山桃の実を見るたびに山桃が漬かった瓶と両親を思い出す。

 

 

 

玉虫を萩の塚で見かけた。数年前から操山に登っているが見かけたのはたったの2匹である。

 

 

法隆寺にある国宝玉虫の厨子法隆寺で見た記憶がある。その厨子は千年ほどの時を経て確かに威厳はあったが、黒っぽくくすんだ色でとても美しいとは言えないものだった。しかしこのくすんだ厨子と雖も、きれいな玉虫の羽を全面に張り付けたなら、その姿は神々しくて思わず手を合わせたくなるに違いない。

 

 

知人からゴキブリハンターならぬムカデハンターなるものがあることを聞いたので、さっそく萩の塚に設置してたみた。

 

 

 

 

設置して1週間後の明日が萩の塚に行く予定日なのだが、生憎大阪に行く予定なのでその成果を確認できるのは、さらに1週間先のことになる。怖いもの見たさで、楽しみのようなそうで無いような複雑な気持である。

 

 

聖地 萩の塚





萩の塚への道中考え事をしながら歩く。

終活の年齢にも成りつつあり、日常の現世がふと天国のように思えるることが多くなった。自転車に乗って気持ち良い風に吹かれているときや、洗濯物を干している時など。

天国が空の彼方にではなく、この何気ない日常生活が天国なのかもと思える。

もちろん現世は様々な苦しみや悲しみが溢れ、ニュースは地獄を伝えている。

萩の塚の道すがら思うことである。

昔、姪が撮った萩の塚の写真に無数のオーブが写っていた。

肉体の死後に、人はそれぞれに合った世界に住むのだろうが。

萩の塚はそんな魂の癒しの場としてあるのだ。

これを聖地と呼ぶのかもしれない。

 

 

息切らせ登る山路や寒椿

 

驚いた事件が発生した。テレビのニュースでも大々的に取り上げられらしい。

知り合いのご家族4人がイノシシに襲われ重傷を負ったと言うのだ。

ニュースを見ていなっかったので、ご当人から直接にお電話で聞かされるまで

全く知らなかったので驚いた。

ご両親と、お電話口の娘さんと、ご両親と同居されているお嫁さんとが、ご両親宅の前で車で出かけようとしていたところに、鉄砲で撃たれた手負いのイノシシが猟犬に追いかけられた形で一家4人にとびかかり襲ったらしい。

お電話口の娘さんは手と足の指先が千切れるほどに嚙みつかれ、倒れた勢いで腰骨を骨折されたようだ。またお父さんは足の指を食いちぎられ、傷だらけになり入院中、お母さんもそこら中噛まれ頭部を骨折していまだにICUに入っているとのお話だ。唯一お嫁さんは軽傷ですんだようだ。

これは私が登っている操山山麓の住宅街に近い辺りで起こった事件だったので、イノシシ跡をたどるようにして萩の塚に登る私にとってまったく他人事の話ではない。

 

 

イノシシとイノシシを追ってきた猟犬と、鉄砲で撃った猟師。まるで漫画のマタギのような話だが、私が登る山で鉄砲が使用されているなど夢にも思っていなかった。

結局このイノシシは猟師によって撃ち殺されたらしいいが、この猟師は警察にも連絡せず単独で判断した行動が悲惨な事件を起こした一因なのかも知れない。

 

萩の塚のある操山は周囲全てを住宅に囲まれた市街地に在る山である。少なくともここ15年以前にはイノシシは存在していなかった。だから周囲の山から市街地を抜けて15年ほど前にイノシシが操山に入り込み繁殖したのだろう。それ以前の最大の生き物はタヌキだったのだ。父はこのタヌキに餌をやると言って残飯を持って萩の塚に行っていたことをよく覚えている。

 

私はこの事件を知った後も変わらず萩の塚に行っているが、以前にもましてイノシシに私の存在を早く気付いてもらうように鈴と杖を着く音を大きく鳴らし、遭遇した際は背を向けずそっとその場を去るつもりだ。しかしこの事件のように万が一の時は杖で戦かわざるをえない。そう決めている。

日の出が少しずつ早くなってきた

 

 

令和7年 2025年1月もあと4日で終わる。「なんと早いことか」。

薄暗い萩の塚への道を、自分がこの世に生まれてこうして日々の生活を送っていることの意義を考えながら歩いていた。

初めに浮かんだのは「感謝!」「ありがたさ」

今山道を歩いていることそのものがありがたい。両親が歩けなくなった姿を見てきた。それはやがて自分の姿である。いま私はこうしてしっかりと歩いている。この道は父と祖父が歩いてきた萩の塚への道だ。そして今私も歩いているのだ。

そのように考えていくと日常の全てが感謝を知るために有るのではないか。そう思えてくる。

萩の塚に着いた。いつものように柏手を打ち感謝をささげた。抹茶と菓子を飲んでいただく。

 




至福と感謝!

萩の塚のありがたさをあらためて実感する。

 

 

最も遅い日の出 師走の萩の塚

 

 

この時期は日の出が遅いために遅くに家を出る。

萩の塚に早く着いても暗くて掃除が出来ないためである。

夏場早い時は萩の塚に午前5時に着いている。しかし今は6時45分に到着。

塚衆はとっくに帰って居ない時刻だ。それでも柏手を打ってご挨拶をしてから、持ってきた魔法瓶から熱い湯を注いで抹茶を点て、抹茶菓子と一緒に皆さんにお出しする。

そして20分ほどゆっくりしてから茶道具を片付けて掃除を開始する。これが私の萩の塚での日曜日である。

11月には吉を呼ぶと言われる吉祥草が咲くが、今年は例年以上にたくさんの花が見られ、その残りの花が師走のこの時期にも未だに見られる。

「きっと良いことが身の回りや世間に起こるよ」そう告げているようだ。