萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

イノシシ被害のその後


 萩の塚に「猫の嫌いな匂いと刺激」と書いてある忌避剤を試しに撒いた結果は、上記の写真のようにさらに激しく荒らされ、地面剥き出しの禿山のようにされてしまった。どうやら猫の忌避剤は逆効果を招いたようだ。

 

貴重な吉祥草も荒れてなぎ倒された状態だが、最も大きな被害はシャガが生えていた側であり、枯れたシャガを10本ほど集めて植えてみたがおそらく根付くのは難しいように思える。

 

 

本来ならシャガは今時分から咲き始める。

下の写真は昨年の4月3日に同じ場所で撮影したものだ。

 

 

およそ10年以前にイノシシは操山には生息していなかった。

岡山市内にイノシシが現れたといったニュースが流れていた記憶があるので、おそらく岡山市の北あたりから住宅街を抜けて操山に逃げ込んだのではないだろうか。

それらが増殖しているのだろう。

 

ともかく萩の塚では当面イノシシとの共生の年月となる。

まるで「もののけ姫」のような物語である。

やっぱり! イ〇〇〇の被害に遭いました

いつものように明けきらぬ前に萩の塚に到着して「えらく落ち葉や枝が落ちてるな」とは思った。

しかし明るくなるにつれて「なんやこれは!」

いつものような葉っぱや枝の散乱が、雨や風による仕業ではないことに気が付いた。

 

 

 

萩の塚正面の岩に土交じりの草や根が垂れ下がり、さらにそれらが躙り口にまで落ちている。

その原因がわからず釈然としない中で、とりあえずいつものように萩の塚の塚主さんや塚衆に抹茶を点てて、早めに掃除に取り掛かる算段を頭に描いて抹茶を頂いた。

 

 

 

茶道具を片付け掃除道具を取りに行こうとして、道端に30センチ大の石が転がっており、ふと萩の塚斜面がえらく荒れていることに気が付いた。

ここは貴重な吉祥草が群生している場所である。

 

 


そして萩の塚の上に上がってみて荒れた原因が理解できた。塚の上部を覆っていた吉祥草を含めた草や木や笹の根などは、ハゲ山のように土が剥き出しになっていた。そして古墳の岩にまで届くほど土を大きく掘り返している。おそらくイノシシである。しかしイノシシが道端を掘って歩いた痕跡は毎回見かけているが、ここまで大きく深く掘ったのは見たことがない。1匹ではなく大きなイノシシが数等いるのかもしれない。

 

 

 

 

 

とりあえず今日のところは、おおまかな部分の掃除だけをして帰ることにした。

そして効果の有無は別にして次回に猫の忌避剤を持ってきて撒くことにした。

人間界とは比べるべきもないが、萩の塚にとっては大事件である。

 

 

 

 

令和五年(2023年) 旗振り台からの初日の出

 

 

元旦 萩の塚へは、長男が行くと言うので初めて親子で行くこととなった。

家を5時40分に出発し、護国神社に初詣をしてから萩の塚に向かった。昨年7月から萩の塚に定期的に行き始めて以来ずっと一人だけの萩の塚だった。複数で登るのも初めてのことである。

長男に抹茶を作ってもらったが、泡立たないのでおかしいと思って茶碗を触ると熱くない。どうやらポットに入れた湯がぬるかったことが原因とわかった。それでもいつものように塚衆に抹茶をお供えし、萩の塚の清掃をして、塚衆の元旦行事の一つである初日の出を旗振り台に見に行った。

 

 

 

令和5年(2023年)元旦の日の出と旗振り台の様子

 

 

以下の写真は平成22年(2010年)元旦の旗振り台

 

上の写真 左から2人めが私

 

 

上の写真 右側が89歳当時の父である

 

 

令和五年

今年も太陽に向かって感謝の祈りをささげることができた。   

合掌

 

日の出が遅くなり、暗い中での掃除が難しくなってきました

 

萩の塚も師走を迎え、掃いた後から落ち葉が積もるようになってきた。朝6時になっても暗いため掃除には明るくなるのを待つ必要がある。

しかし待っていると仕事に支障が出るので、当分の間萩の塚行きは日曜日のみになりそうだ。

去年の夏萩の塚に登り始めた頃は、父や塚衆の想いを背負うような気概もあったが、最近は早暁の真っ暗な山中を一人歩くのも、萩の塚で抹茶を点て掃除をするのも、全てが自分の為だということに気づかされ、また実感するようになった。

 

 

晦日まで残り1か月を切ったが、今年1年は毎週定日に萩の塚へ行くことができた。

父は94歳まで萩の塚に通ったのだが、私の今の状態を見ると80歳でも難しいように思う。

私が登らなくなったら、現世で見える萩の塚の姿は草生し枝に覆われることになるだろう。しかし私は般若心経の言う如く現世こそ仮の姿だと信じているので、異次元に移行したらまた萩の塚に登ってみたい。そこにある萩の塚は囲炉裏に薪がくべられ、真っ黒にすすけた南部鉄のヤカンから湯気が登り、火に照らされた塚衆面々の談笑できっと賑わっていることであろう。

 

ところで

萩の塚への途中にある「お律さん」と私が呼んでいる伊木忠榮室荒尾氏之墓掃除についてだが、お盆時期に一度掃除したが、この時期通る度に落ち葉が気になり先週掃除しに行って呆れたことがあった。

墓の横に小さな箒と熊手をビニール袋に入れて一つに括っていたのだが、箒だけが見当たらないのだ。誰かが使ってそのあたりに置いているのかと思い探してみたが見つからない。使用後は毎回箒と熊手をビニール袋にきちっと束ねて帰っているので、人為的以外に箒だけが無くなることなどあり得ない。

 

 

値段的には安い箒なのだが、そんなものを盗ってどうするのだろうかと思うが。はてさて操山には色んな人が入っていることを知らされる事件となった。

 

 

今日も無事に萩の塚に行くことができてこの記事を書いている  感謝

 

 

 

吉祥草が花をつけていました

 

今日萩の塚に着いたのが朝5時58分。

玄関を出る時にはとても綺麗な星空が見えていた。

萩の塚の南坂にかかるあたりで懐中電灯の灯りを消したが、それでもうっすら明るい程度で、今シーズン初めてランタンを灯して抹茶茶碗に注ぐ湯の量を確かめた。

 

 

まずは塚主さんや塚衆の皆さんに抹茶をお供えし、その間に周囲の枝の剪定や、写真を撮ってメールに添付送信したりして、少し時間を置いてからお下がりといった形で自身の抹茶を頂いている。

こうしているうちに太陽が向かいの尾根から頭を出してキラキラと輝き出す。

 

 

 

周囲がハッキリ見えてくると、まずは今年植え付けた萩を確認してみるが、葉っぱが枯れて萎れたように見える。それでも予て用意した肥料を根の周囲をスコップで掘って与え、土をかぶせて水を撒いた。

 

 

三勲神社跡地の萩はとても綺麗に咲いているのに何が原因かよくわからない。ひょっとすると萩の周囲が萩以外の根でびっしりと囲まれてスコップが入らないような状態になっているのが原因かもしれない。そうだとすると生存競争に打ち勝たないと育たないことになる。

 

                         三勲神社跡の萩

 

掃除をして塚衆や塚主さんに感謝をして帰ろうとして、ふと赤い色に目が止まった。

「吉祥草が咲いている!」

小さくはあるが今年も咲いてくれた。

萩で落ち込んでいただけによけいに嬉しい。

 

もっと もっと 良いことがありそうだ!

 

 

 

 

初秋の萩の塚

 



9月に入り夜明けが遅くなってきた。そこで先週から出発を30分遅らせて朝5時に家を出るようにしたが、さすがに萩の塚に到着する頃にはすっかり明るくなっておりまだまだランタンの必要はなさそうだ。

ヒグラシの声は聞こえなくなったが。夏の終わりを告げるツクツクホーシはまだ盛んに鳴いている。

登り始めには懐中電灯も必要になりそうなので電池の入れ替えもおこなった。

今までは右手に杖、左手に蜘蛛の巣除けの枝を持って登ったが、それが懐中電灯に変わる。かといって蜘蛛の巣は相変わらずあり、杖は必携なので二者択一と言うわけである。

 



初秋は萩の花の季節であるが、萩の塚へと昨年株分けした萩は、私が萩のすぐ脇の葉を切ろうとして間違えて萩の新芽を切ったり虫に食われたりで、今年は期待出来そうもない。

猛暑や豪雨や台風など天候異変の中、萩の塚は落ち葉の掃除が大変だったぐらいで、平穏な秋を迎えている。

 

 

初夏の萩の塚へ  いざ出発!


夏至の時期は朝4時台に日が昇るので、目覚ましの鳴る4時前に起きて支度をするようになった。

服装は木々の枝切りやダニ蚊などの虫さされに備えて真夏でも長袖長ズボンを着る。特に数年前から操山にイノシシが出るようになり、暑い時期だがマダニ対策の服装は必須である。

奈良に住んでいた30代の一時期。登山や沢登りの愛好家グループに入って、秘境と言われる大台ケ原山系や大峰山系あたりに連れて行ってもらったことがある。そこで沢山の山蛭が立ち上がって飛びかかろうとする様や、木の上から蛭が降ってきたり、気付かぬまま靴下に入りこむ山蛭の恐ろしさを知らされた。

シカのぬた場やササの茂みにはマダニが居る。万が一噛まれた場合には不用意にダニを手で取るとダニの頭が体に食い込んで残ってしまう。決して手では取らずタバコの火で焼いて殺さないといけないことを教えられた。

操山は都会の山だが、都会に近い奈良の若草山の径にも山蛭が居る。これは鹿が温床になっての事だろうが、操山にイノシシが住むようになると、山ヒルはまだしもマダニが増えることは考慮して歩くべきだろう。私はルート上で径に笹が伸びている所はイノシシによってダニが着くおそれもあるのでなるべく剪定バサミで笹を切っている。

 

 

さて話が逸れたが、起きたらまず湯を沸かしてポットに注ぎ、冷蔵庫から抹茶とお菓子を出して、抹茶茶碗茶筅茶杓と一緒にタッパーに詰める。

 

 

抹茶菓子は頂き物があれば良いが、いつもはスーパーで日持ちのする塩饅頭や甘納豆などの干菓子を買う。表千家のお師匠さんが「普段の抹茶は安物で十分」と言われたので、スーパーで買ったものを冷蔵庫に保管している。

リュックにはそれら以外に剪定バサミや枝切り鋏にノコギリとスコップ、懐中電灯などを詰め込んでいる。

 

 

それら一式をリュックに詰め帽子とセットにして廊下に置く。

 


用意が出来ると仏壇の前で蝋燭と線香に火を点けて数分間先祖に手を合わせ、祖父と父には「一緒に萩の塚に行きましょう」と声をかける。

父が亡くなるまでの私は仏壇の前に座って拝むなど盆と正月ぐらいであった。しかし父が亡くなって以後、母の体が不自由なこともあってお茶湯をするのが私の日課になった。しかし今はそのことを当たり前に楽しんでいる。

 

父の偉い点は多々あるが、少なくとも数十年間毎日3時に起きて長時間お祈りとお経を上げたこと。そして数十年間萩の塚へ行ったことの2点は真似の出来ないことである。

 

 

さて玄関で登山靴を履くと、ウオークマンの片方が壊れたイヤホンを右耳に突っ込み、左耳で外界の音を聞く。もちろん護国神社や萩の塚に着くとイヤホンは外すが往復は決まってZARDの Foreever Bestを聞いているともなくかけている。これは聞き慣れているので音楽を聴くという気持ちを持たないでいられるからだ。

 

玄関の外で携帯用の蚊取り線香に火を点けて虫除けスプレーを体に撒く。

 


ちなみに蚊取り線香の匂いをイノシシは嫌うらしい。そして杖と蜘蛛の巣取りの細い枝を持って、4時20分頃に家を出て護国神社脇の登山口へと向かう。

 

蜘蛛の巣取りの小枝であるが、この季節は顔の前に細い枝をかざして歩かないと、まともに蜘蛛の巣が顔にへばりつくことがあるので必携品である。誰かが通った後ならいいが、萩の塚衆も居なくなった今は朝4時台蜘蛛の巣の犠牲者になるのは私である。

 

杖は万が一イノシシとの遭遇時に備え、父の介護時に使っていたしっかりとしたものにしている。もし遭遇したら相手の目を見ながらゆっくりと離れるつもりだが、遭遇しないためにリュックに付けた小さな鈴と蚊取り線香、それに杖を着く音をわざとさせながら歩いている。

 

 

       杖と蜘蛛の巣除けの枝

 

 

奥市の野球グラウンド手前あたりには決まって野犬が居て必ず吠えられる。また2度ほど野犬が萩の塚にまで来たことがある。おそらくいつもは墓の辺りにいて人から食べ物をもらったりしているのだろうが、時には山中にまで上がってくるようだ。

最近この野犬に子供が3匹出来た。野犬も親の方は私が近づくとこそこそと逃げるが、子犬の方はまだあまり人間の怖さを知らないと見えて、比較的近くまで来て可愛く吠える。しかしどのみち野犬の家族にイノシシを追っ払うことを期待することは無理だろう。

 



さて、山に入る前に、まずは護国神社正面鳥居の手前でリュックを下ろし、ウオークマンのイヤホンを外して参拝をする。それから萩の塚へと向かうことにしている。

家を出てからここまでほぼ20分が経過している。

 

 

 



 

今日は山に入ってすぐの所で驚いたことにカブトムシを見つけた。朝4時台の暗がりで

暗色のカブトをよくも見つけられたもので、たまたま目をやった地面をガサゴソ歩いていたのだ。操山でカブト虫などついぞ見かけたこともない。もちろん背中を撫でただけだがラッキーであった。

 

カブトムシ  写真は朝4時台の山中なので暗い

 

 

さて、以前にも書いたが登山道を5分ほど歩くと、伊木忠榮室荒尾氏の墓と書かれた300年程前に建てられた墓が一基だけ道の下に立っている。名前は系図から於利津と推測されている。

 


なので、真っ暗な時期は懐中電灯で墓を照らして「リッちゃん。萩の塚に抹茶を飲みに一緒においで」と声をかけている。

 

たまに雑草や落ち葉がひどいと気になるので、勝手に掃除をしている。

 

 

このあたりはもっと沢山墓があった痕跡があり、この場所を通ると自身の肉体のある今の日常を、ホタルやセミのように短い一瞬の出来事だと思わされる。

 

特に真っ暗な時期の山中は日頃の日常には無い空間であり、現世での価値観や世界観とはまったく違った中に自分を置くことが出来る。

 



 

般若心経では全ての形有るものは実体が無いと説かれている。

普遍の生命が一瞬肉体というすぐに壊れてしまうものを身につけて現世に現れる。墓の住人も、父や萩の塚衆の面々も、そして私も、実体の無い世界の住人と言う点では変わりない。

時間も空間も無いとすれば令和も江戸もこの世もあの世も関係ない。だから抹茶を飲みに誘ったり、父に話しかけたりもするのである。私に霊が見えるわけでも霊感が有るわけでもないし、そんなことなどどうでも良い。

 

肉体の存在する一瞬の今をしっかり味わって「一日一日を大切に生きなければ勿体ない」

ここを通る度にそれを自分に言い聞かせている。

 

萩の塚の行程は、このように日頃の仕事やストレスに追われる日常では考えないようなことを考える貴重な時間と言える。

 

 

さて、クスの森を抜けたあたりから坂が始まり、5分ほどで出会いに着く。

出会いに着くと父は体操したり詩吟をうなっていたが、私は交差するそれぞれの道に向かって「おはようございまーす!」と大声で叫んでいる。

 

 



この出会いから萩の塚に至る南坂の登りはきつい。父はこの行程を94歳まで登ったのだから本当に大したものだ。

 

 



 

もちろんゆっくりゆっくり休憩しながら登って行く。私もその同じ径を歩きながら、父が決まって腰を下ろした木の根方や段差に来ると「お爺ちゃんここで休む?」と父に声をかける。萩の塚への行程には父が必ず同行している。そう思っている。

 

     萩の塚からの日の出

 

 

 

やっと萩の塚が見えてくると

「おはようございまーす! 塚衆の皆さん圭吾でーす!」

と大きな声をかける。

萩の塚衆が元気な頃は、こう声をかけると塚の中から

「おお!圭吾君 こっちに座られー」そう言う声が返ってきた。

 

今は萩の塚に着くと杖と枝を木に立てかけてまずはリュックを下ろす

 



 



萩の塚は清浄な気に満ちた聖域である。来る度にそう感じる。帽子とイヤホンを外し、塚に向かって今日もよろしくお願い致しますと拝礼をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



それから抹茶道具を出し、抹茶茶碗茶杓で一杯半抹茶を入れてポットから熱い湯を注ぐ。暗い時期は懐中電灯で茶碗を照らしながら湯の量を確かめ、茶筅で細かな泡が立つように混ぜると完成。作法など全くない。

 

 

 

 

 

献茶し、しばらくの間私は剪定バサミで笹を切ったり剪定したりホコリの立たない作業をして、一段落したらそのお下がりをいただくようにしている。

 

飲み終えると道具を片付けて、今度は萩の塚の掃除にかかる。

 

 

 

 

 

 

掃除が終わると塚に手を合わせる。そして「一緒に帰りましょう」と声をかけて帰る。

 

萩の塚は日常生活とはかけ離れた空間であり時間を持てる場である。そして清々しい気持ちで帰路の途につくことが出来る秘密の場所である。

 

 



 

 

 

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