萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

今朝の萩の塚はツツジに彩られています

八重桜が散り、萩の塚にはツツジやシャガ、八重の山吹が咲くようになった。 この季節を満喫しつつ、一方でこれから温かくなるとまたまたムカデ対策の時期と もなってくる。 秋が落ち葉と言うよりも落ち葉は年中落ちてくる。2週間も掃除をしないと落ち葉だら…

萩の塚の掃除こそ清々しい一日の始まり

今までは萩の塚に6時台に行っても暗くて掃除が出来ないため家を遅めに出ていた。 しかし最近は夜明けが早くなった為、今までと同じ時間に家を出るとすでに外は薄明るくなっている。 やがて息を切らして萩の塚に着いた頃には綺麗な朝日が塚を照らす。 塚に向…

令和6年(2024年)萩の塚からの初日の出

元旦 素晴らしい日の出が見られた。 塚の前で抹茶を点てて飲んでいると、数分間隔で3組の方が来られた。私も初日の出を見に来られたのだとわかっている。 1組目は高校生ぐらいであろうか、明るくなりかけた光の中で賢そうな男の子と、髪の長いきれいな女の…

おのころ坂についての その後

2023年 10月29日 日の出 おのころ坂工事の問題点について林野庁、岡山市、岡山県などに萩の塚通信のコピーを送ったところ、林野庁から「その件について説明をしたい」と言った内容のお電話をいただいた。 11月2日に林野庁の方3名と岡山市沢田の里…

おのころ坂の改修工事は、いったい何の為に行われたのだろう。

(※ 本編記事は2022年5月に書かれたものだが、記載時から1年4か月が経過し、おのころ坂の状態がさらに悪化している。改修工事からわずか1年数か月しか経っておらず本来ならまだまだ改修後の新鮮なおのころ坂のはずだが、現状は本来山林を守る立場に…

夏は来ぬ

このところ雨がひどくて日本列島各地に被害をもたらした。 萩の塚に大きな被害は無かったが、それでも腐った大きな枝が雨後毎週のように落ちている。 この時期は暑くて護国神社側から登ると、萩の塚南坂の半分あたりでヘロヘロになる。80代90代の老人が…

五月

夜の明けるのが早くなり家を5時に出るようにしている。 先週雨が続いた翌日に萩の塚に行くと塚の入り口に大きな水溜まりが出来ていた。 そこで抹茶を一服してから。水捌けを良くする溝を掘ることにした。やってみると根が張っていてそう簡単にはいかないこ…

イノシシ被害のその後

萩の塚に「猫の嫌いな匂いと刺激」と書いてある忌避剤を試しに撒いた結果は、上記の写真のようにさらに激しく荒らされ、地面剥き出しの禿山のようにされてしまった。どうやら猫の忌避剤は逆効果を招いたようだ。 貴重な吉祥草も荒れてなぎ倒された状態だが、…

やっぱり! イ〇〇〇の被害に遭いました

いつものように明けきらぬ前に萩の塚に到着して「えらく落ち葉や枝が落ちてるな」とは思った。 しかし明るくなるにつれて「なんやこれは!」 いつものような葉っぱや枝の散乱が、雨や風による仕業ではないことに気が付いた。 萩の塚正面の岩に土交じりの草や…

令和五年(2023年) 旗振り台からの初日の出

元旦 萩の塚へは、長男が行くと言うので初めて親子で行くこととなった。 家を5時40分に出発し、護国神社に初詣をしてから萩の塚に向かった。昨年7月から萩の塚に定期的に行き始めて以来ずっと一人だけの萩の塚だった。複数で登るのも初めてのことである…

日の出が遅くなり、暗い中での掃除が難しくなってきました

萩の塚も師走を迎え、掃いた後から落ち葉が積もるようになってきた。朝6時になっても暗いため掃除には明るくなるのを待つ必要がある。 しかし待っていると仕事に支障が出るので、当分の間萩の塚行きは日曜日のみになりそうだ。 去年の夏萩の塚に登り始めた…

吉祥草が花をつけていました

今日萩の塚に着いたのが朝5時58分。 玄関を出る時にはとても綺麗な星空が見えていた。 萩の塚の南坂にかかるあたりで懐中電灯の灯りを消したが、それでもうっすら明るい程度で、今シーズン初めてランタンを灯して抹茶茶碗に注ぐ湯の量を確かめた。 まずは…

初秋の萩の塚

9月に入り夜明けが遅くなってきた。そこで先週から出発を30分遅らせて朝5時に家を出るようにしたが、さすがに萩の塚に到着する頃にはすっかり明るくなっておりまだまだランタンの必要はなさそうだ。 ヒグラシの声は聞こえなくなったが。夏の終わりを告げ…

初夏の萩の塚へ  いざ出発!

夏至の時期は朝4時台に日が昇るので、目覚ましの鳴る4時前に起きて支度をするようになった。 服装は木々の枝切りやダニ蚊などの虫さされに備えて真夏でも長袖長ズボンを着る。特に数年前から操山にイノシシが出るようになり、暑い時期だがマダニ対策の服装…

萩の塚と周辺に咲く花

花に関してはとんと疎く今まで過ごしてきたので、この記事については今後も継続して加筆編集する予定である。 吉祥草 萩の塚にて 2021年10月22日 秋 萩の塚正面に向かって左側、葉っぱに隠れるようにして見たこともない花が咲いている。気になって捜…

萩の塚についての説明文を作りました

じつは萩の塚の説明文については2011年5月14日に一度作ったことがある。 しかし1週間も経たないうちに何者かによって黒い心棒1本だけ残して破棄された過去がある。この事で萩の塚の経緯に対して快く思っていない人がいることをハッキリと知らされた…

おのころ坂 改修工事に想う

令和 3年(2021年)12月12日。 萩の塚から三勲神社方面へ帰る途中、おのころ坂を降りきる手前で景色に似合わない物が目に入っってきた。それは赤いコーンに囲われた木に似せたプラスチック樹脂の棒が積み上げられた景色だ。すぐにおのころ坂の階段…

奥市グラウンド・護国神社側から萩の塚に至るコースをご紹介

今回は奥市の野球グラウンド横からの登山口と護国神社脇から萩の塚へ登るコースを紹介する。 写真はバックネット側から見たグラウンド 登山口は野球グラウンドバックネット側の道を挟んだ道路脇にある。操山についての説明板のすぐ横に早速三勲神社方面と旗…

11月末ともなると日の出が随分遅くなって来ました

この時期登山口からの一歩目は5時45分前後となる。嘗て父と登っていた頃は夏冬問わず4時20分前後から登り始めたので当時より随分遅いが、それでも登りはじめは当時を思い出すほどの暗さになってきた。最近は護国神社脇から三勲神社跡へとぐるっと一周する…

萩の塚を照らす朝の光。

春から秋にかけて、塚衆は塚の前で抹茶を飲むことも多かった。しかし近年は塚の入り口近くまで笹が進出する状態で、見かねて数ヶ月前に大分刈り込んだが、昨日さらに刈り込んだので元有った境界線の杭が出てきた。 笹は根が強く蔓延る為強力な除草剤を蒔きた…

風が涼しく透明に感じる季節となりました

だいたい週2回は萩の塚に行く。そんな間隔であっても10年続けようと思えば、仕事や家庭や健康など様々な要素が揃わないと続けることは出来ない。父は94歳まで続けた。 家本為一先生は 「今日は病気じゃ、昨日は薬じゃと、半休半労の能率なき生活をする…

萩の塚の行き帰りは今、ちょうど萩が咲き、今朝は栗を拾って帰った。

今朝萩の塚に着くと、ちょうど塚の真上辺りの樹上から普段聞き慣れない音がしている。 しばらく耳をそばだてていていると、「キツツキが木を叩く音だ」「コゲラだろうか」萩の塚にもキツツキが来てくれていることがとても嬉しかった。 まだ紅葉には早いが、…

三勲神社口から萩の塚にいたるコースを半世紀前から辿りつつご紹介。

せっかくハイキングシューズを新調したので、最近は祖父の代から登ってきた三勲神社正面口(地図では操山登山口)から登っている。そこで今回は塚衆が登ってきた最も古いルートを紹介する。思いつく度に今後も文章を書き加えると思う。 このルートは萩の塚ま…

萩の塚の看板を修繕しました

国もしくは市が設置した萩の塚入り口にある看板の文字が、いつ頃されたかは不明だが、明らかに人の手によって萩の塚の文字が削り取られている。 文字を削った人がどのような意図でおこなったのか判らないが、萩の塚の文字だけを削ったことに悪意さえ感じてし…

「萩の塚」と言う名は、萩の花が塚周囲に咲くことから名付けられました。

「萩の塚」の命名者は家本為一先生。戦前から塚衆が萩の塚と呼称してきた名前が、今では当たり前のように公的な機関やガイドブックに書かれるようになった。 しかし今は植生が変化したのか、木や花が盗掘にあうことも残念ながらよくあるので、なんらかの理由…

連日雨です。萩の塚内にも小さな水たまりができています。

二週間近く日本列島は雨の中。朝5時半。久しぶりに青空が見えた。 家を少し歩いた所で傘を忘れたことに気がついたが、「今日は大丈夫だろう」と思って歩き出した。奥市のグラウンドの向こうに操山旗振り台の峰が続き、頭上に青空が広がっている。 昭和50…

「萩の塚」にて  父との思い出

この写真は90歳の父が萩の塚のすぐ手前で抹茶を点てている様子です。 昭和14年家本為一先生が発起人となり以来80年。岡山市長はじめ岡山の名士が多く集い、遠くは棟方志功や河合寛二郎など人間国宝も来岡談笑した「萩の塚」での集まり。 しかし数年前…

萩の塚の様々を綴った「萩の塚物語」を再配信しました

16年前に私(ブログ管理人)の兄が、萩の塚や萩の塚衆など様々なことを綴った「萩の塚物語」を冊子にし、またネット上にもアップしていた。それを私の仕事上のホームページにもリンクさせていたのだが、ホームページのリニューアルに伴いネット上から消え…

最後の塚衆が他界して、残された塚は

前回書いた記事から10年が経ってしまった。 萩の塚に登り続けた父守屋正直が、2020年 令和2年10月12日に百歳で他界した。私は父が亡くなってから、父を想うと萩の塚が、萩の塚を想うと父が重なる。その気持ちをより強く感じるようになった。 父が…

祖父が登り、今も父が登り続ける懐かしい故郷の山

上記写真の少年は私(管理人)です 私が物心のついた頃から父は操山に登っていた。小学校の頃父について何度か萩の塚に行ったことがある。朝4時過ぎ、真っ暗な中を怖くてビクビクしながら父の後を離れないようにしてついて行った。父の下げるカンテラの灯り…