萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

2021-01-01から1年間の記事一覧

奥市グラウンド・護国神社側から萩の塚に至るコースをご紹介

今回は奥市の野球グラウンド横からの登山口と護国神社脇から萩の塚へ登るコースを紹介する。 写真はバックネット側から見たグラウンド 登山口は野球グラウンドバックネット側の道を挟んだ道路脇にある。操山についての説明板のすぐ横に早速三勲神社方面と旗…

11月末ともなると日の出が随分遅くなって来ました

この時期登山口からの一歩目は5時45分前後となる。嘗て父と登っていた頃は夏冬問わず4時20分前後から登り始めたので当時より随分遅いが、それでも登りはじめは当時を思い出すほどの暗さになってきた。最近は護国神社脇から三勲神社跡へとぐるっと一周する…

萩の塚を照らす朝の光。

春から秋にかけて、塚衆は塚の前で抹茶を飲むことも多かった。しかし近年は塚の入り口近くまで笹が進出する状態で、見かねて数ヶ月前に大分刈り込んだが、昨日さらに刈り込んだので元有った境界線の杭が出てきた。 笹は根が強く蔓延る為強力な除草剤を蒔きた…

風が涼しく透明に感じる季節となりました

だいたい週2回は萩の塚に行く。そんな間隔であっても10年続けようと思えば、仕事や家庭や健康など様々な要素が揃わないと続けることは出来ない。父は94歳まで続けた。 家本為一先生は 「今日は病気じゃ、昨日は薬じゃと、半休半労の能率なき生活をする…

萩の塚の行き帰りは今、ちょうど萩が咲き、今朝は栗を拾って帰った。

今朝萩の塚に着くと、ちょうど塚の真上辺りの樹上から普段聞き慣れない音がしている。 しばらく耳をそばだてていていると、「キツツキが木を叩く音だ」「コゲラだろうか」萩の塚にもキツツキが来てくれていることがとても嬉しかった。 まだ紅葉には早いが、…

三勲神社口から萩の塚にいたるコースを半世紀前から辿りつつご紹介。

せっかくハイキングシューズを新調したので、最近は祖父の代から登ってきた三勲神社正面口(地図では操山登山口)から登っている。そこで今回は塚衆が登ってきた最も古いルートを紹介する。思いつく度に今後も文章を書き加えると思う。 このルートは萩の塚ま…

萩の塚の看板を修繕しました

国もしくは市が設置した萩の塚入り口にある看板の文字が、いつ頃されたかは不明だが、明らかに人の手によって萩の塚の文字が削り取られている。 文字を削った人がどのような意図でおこなったのか判らないが、萩の塚の文字だけを削ったことに悪意さえ感じてし…

「萩の塚」と言う名は、萩の花が塚周囲に咲くことから名付けられました。

「萩の塚」の命名者は家本為一先生。戦前から塚衆が萩の塚と呼称してきた名前が、今では当たり前のように公的な機関やガイドブックに書かれるようになった。 しかし今は植生が変化したのか、木や花が盗掘にあうことも残念ながらよくあるので、なんらかの理由…

連日雨です。萩の塚内にも小さな水たまりができています。

二週間近く日本列島は雨の中。朝5時半。久しぶりに青空が見えた。 家を少し歩いた所で傘を忘れたことに気がついたが、「今日は大丈夫だろう」と思って歩き出した。奥市のグラウンドの向こうに操山旗振り台の峰が続き、頭上に青空が広がっている。 昭和50…

「萩の塚」にて  父との思い出

この写真は90歳の父が萩の塚のすぐ手前で抹茶を点てている様子です。 昭和14年家本為一先生が発起人となり以来80年。岡山市長はじめ岡山の名士が多く集い、遠くは棟方志功や河合寛二郎など人間国宝も来岡談笑した「萩の塚」での集まり。 しかし数年前…

萩の塚の様々を綴った「萩の塚物語」を再配信しました

16年前に私(ブログ管理人)の兄が、萩の塚や萩の塚衆など様々なことを綴った「萩の塚物語」を冊子にし、またネット上にもアップしていた。それを私の仕事上のホームページにもリンクさせていたのだが、ホームページのリニューアルに伴いネット上から消え…

最後の塚衆が他界して、残された塚は

前回書いた記事から10年が経ってしまった。 萩の塚に登り続けた父守屋正直が、2020年 令和2年10月12日に百歳で他界した。私は父が亡くなってから、父を想うと萩の塚が、萩の塚を想うと父が重なる。その気持ちをより強く感じるようになった。 父が…

祖父が登り、今も父が登り続ける懐かしい故郷の山

上記写真の少年は私(管理人)です 私が物心のついた頃から父は操山に登っていた。小学校の頃父について何度か萩の塚に行ったことがある。朝4時過ぎ、真っ暗な中を怖くてビクビクしながら父の後を離れないようにしてついて行った。父の下げるカンテラの灯り…

岡山市民に親しまれている操山。

ここに萩の塚と呼ばれる古墳があり、早朝の喫茶と談笑が萩の塚衆と呼ばれる面々によって70有余年続けられています。 。 この集まりは1938年から聖人弁護士家本為一によって始められ、以来人間国宝の棟方志功、河井寛次郎をはじめ多士済々の人達がこの…