「萩の塚」の命名者は家本為一先生。戦前から塚衆が萩の塚と呼称してきた名前が、今では当たり前のように公的な機関やガイドブックに書かれるようになった。
しかし今は植生が変化したのか、木や花が盗掘にあうことも残念ながらよくあるので、なんらかの理由で現在萩の塚周辺に萩の花が見られなくなってしまった。
萩の花は万葉集で最も多く詠まれている花らしく、昔から日本人は萩の花をとても愛してきたことがわかる。
この萩の塚も古墳としてかつては石棺があり、人骨やその周囲には埋蔵品があったのだろうがおそらく盗掘などの目にあい、いつの頃からか石棺のない横穴だけの姿になってしまった。
この古墳を大正昭和の奇人、聖人と言われた家本為一先生が気に入り、抹茶を飲みながら清談する場となったのが昭和14年である。
以来半世紀以上の間石で作った囲炉裏で燻され灰は土となり、萩の塚は山中でありながら清潔な茶室同様虫も近づかなくなった。
しかし時代の変化と共に文化財保護(戦前から岡山の偉人達や時に棟方志功、河合寬次郎など人間国宝も訪れたりして、連綿と続けられた茶会清談はそれだけで十分に岡山人が誇るべき文化遺産だと思うが)と火気厳禁ということから、最近の20年ほどは煙で燻されることもなくなってしまった。このことが萩の塚をすっかり虫が蔓延る塚に変貌させた。人が住まなくなった家は荒れて朽ちていくのと同様である。
私(管理人)は亡き塚衆の人達が、萩の塚の茶と清談がいつまでも続いて欲しいという願いを知っているので、このまま虫の蔓延る塚にしてはならじと意を決し、除虫剤を蒔く処置をおこなうことにした。これなら時間が経てば溶けて消えるし文化財を傷つけることはない。むしろ人が造った文化財を人の手で管理することになる。(半世紀の以上続けられた萩の塚清談も毎日終わったら必ず塚内外の火の用心清掃管理をしていた)。
さて
私はここで一瞬何が起こったか理解できないような光景を目にすることとなった。
当初塚に入ってすぐ右下の地面に富士山のような形に砂がきれいに盛り上がっているのは気がついていた。またその側面の岩の奥から砂が落ちてきているのも気になっていた。そこで蠅蚊用の殺虫剤を砂が落ちて来る岩の奥に10秒ほど蒔いてしばらくすると12、3センチほどのムカデが落ちてきた。それから塚の中全体にしばらく殺虫剤を蒔いていると、塚の入り口上部正面の岩を伝って15センチほどある大きなムカデが落ちてきた。
落ちてきたムカデ
もちろんムカデはそんな程度では死なないので石を斧とした。また塚内部には5センチ以上あるゲジゲジが3匹うごめいていた。
当初から気になっていたのはポロポロとした土の状態で、特に入り口外の左斜面の土に蟻の穴ようなものがたくさん見られ、実際沢山の蟻が出入りしていて、土がとてももろい状態になっている。私の記憶では以前ここの土はしっかりと硬く古墳の上に駆け上がったり、滑り台のようにできる硬い土質だった。今は萩の塚全体を草が覆っているが、その土がやはりもろくてボロボロとしていてたくさんの穴が空いているように見える。
この日は白い粉の「虫ころりアース」を、虫が作った穴に突っ込んで散布し 塚内にも散布して帰った。
その三日後の早朝に一人で抹茶を一服した帰りに、前回は範囲が広くて行き渡らなかったので、フマキラーの「アリムカデ」という前回散布したのと同じような白い粉を、巣穴や岩の間に散布して帰った。
そしてその3日後の早朝抹茶を一服した後、今度はキンチョーのムカデ専用の殺虫スプレーを巣穴とおぼしき所へ数秒噴射した時だった。
巣穴から大きなムカデが出てきたと思ったらその後に2センチぐらいの細いミミズの様なのが、勢いよく体をグネラセながらものすごい数吹き出てきた。
当初何が起きたのかわからなかったが、すぐにムカデの子供だと判ってそこら中這いずり回る沢山の子ムカデに向かって殺虫スプレーを噴きまくった。
この穴にはすでに蠅蚊用のスプレーやムカデを撃退する白い粉を散布していたので、まさかこんな状態になるとは予想もしていなかった。
スゴイ数のムカデが出てきた穴
前回来た際に白い粉を散布したにもかかわらず塚の中にバッタや蚊が平気で入って行く様を見て白い粉の効果を疑問視していたが、蠅蚊用のスプレーも白い粉もどちらも蒔いたはずの同じ穴からウジャウジャと沢山のムカデが出てきたのだから、ムカデ専用スプレー以外には効果がなかったのだ。
ムカデの寿命は5,6年とあり、これだけの数のムカデが成虫になり、塚内をぞろぞろと徘徊している中に見学者が入っていったらどうなっただろうか、その状態を想像するとゾッとする光景である。
これで虫との戦いが終わったわけではなく今後も定期的に除虫管理をしていく必要がある。
願わくは近い将来岡山人が昭和における萩の塚の文化的位置づけを見直し、石の囲炉裏で再び抹茶が飲める日が来るまで、萩の塚にて早朝魔法瓶で抹茶を飲む日々となりそうだ。