萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

連日雨です。萩の塚内にも小さな水たまりができています。

二週間近く日本列島は雨の中。朝5時半。久しぶりに青空が見えた。

家を少し歩いた所で傘を忘れたことに気がついたが、「今日は大丈夫だろう」と思って歩き出した。奥市のグラウンドの向こうに操山旗振り台の峰が続き、頭上に青空が広がっている。

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昭和50年代頃まで、萩の塚へは三勲神社正面側から登っていた。もちろん私の祖父もここから登っているし、真冬の4時台に真っ暗な墓の横を怯えながら登った子供時代を思い出す。

この登り口から萩の塚へは入ってすぐ男坂女坂に別れる登りと、家本先生が名付けたオノコロ坂と、急坂が2カ所あり距離も長い。今年65歳になる私の足で40分ほど。80歳を過ぎた萩の塚衆の足だと休憩を入れると1時間以上かかった。

 

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      三勲神社正面の登り口

 

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       子供時代思い出の坂

 

その後野球場横の登山口から登るようになり、さらに20年ほど前からは護国神社の脇から登るようになった。このように登り口を変えたのは、塚衆全体の高齢化が一因だろうと想像する。

 

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野球場横にある登山口
 

たしかに護国神社脇からなら私の足で20分ほどで萩の塚に到着する。80歳を超した塚衆でも途中で休憩しながら40分ほどで着いたように記憶している。

 

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国神社脇からの登り口

 

どちらから登る場合も休憩場所は決まってる

三勲神社側ルートでは、三勲神社跡地で市街地の灯りや星を見ながら体操したり詩吟をしたりして休憩した。

 

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     三勲神社跡地

 

 護国神社側ルートでは、沢田と旗振り台出会いの真っ暗闇の中で、ベンチに荷を下ろして5分から10分体操したり詩吟をしたり、お腹から思いっきり大声をだしたりしていた。この出会いから萩の塚までがこのルート最大の急坂である。

 

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沢田、護国神社、萩の塚、旗振り台、明善寺城の出会い

 

晩年は護国神社岡山県神社庁の前に午前4時20分に5人ほどが集合し登っていたが、父親が60代70代で毎日登っていた頃は。大雨大雪などの悪天候でも登っていたので、平日なら塚に着いてもたまに一人だけという日もあったようだ。逆に日曜日などは10人を超す日も多くあった。

 

私の20代前半の頃は連休に合わせて岡山に帰省するので、萩の塚も賑やかな光景が多く見られた。

 

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今はひっそりとした萩の塚だ。

 

 

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