花に関してはとんと疎く今まで過ごしてきたので、この記事については今後も継続して加筆編集する予定である。
吉祥草 萩の塚にて 2021年10月22日
秋
萩の塚正面に向かって左側、葉っぱに隠れるようにして見たこともない花が咲いている。気になって捜してみると葉の下にところどころ咲いていた。花や木にとんと疎いので、とりあえず見て見ぬふりをしていたが、やはり気になる。
写真に撮ってネットで10月に咲く花を検索してみたがそれらしき花は見つからなかった。が、そう言えば昔買った植物図鑑が有ったのを思い出しやっと花の正体がわかった。
名前は吉祥草(キチジョウソウ)と言い、花が咲くと幸運が舞い込む。めったに花は咲かず吉事があると咲くという言い伝えがあるらしい。しかし実際には毎年花が咲くようだ。花言葉も「吉事」「喜び」「祝福」と縁起が良い。塚衆の誰かが植えたのか、もともと自生していたのかわからないが、萩の塚に咲いていてくれていることが嬉しい花である。大切に管理したいと思っている。
数年前から操山にもイノシシが住み着くようになり、鼻で道ばたを掘り返すので、吉祥草も一部荒らされてしまった。まさかイノシシ対策を操山でするなど思ってもいなかったが、取りあえずイノシシが近づかない忌避剤を考えた。イノシシの嫌いな匂いなどネットでググってみたが、やはり匂いに慣れてしまうようだ。とりあえずホームセンターで効果の程は不明だが猫の忌避剤を買ってきた。昨日も忌避剤を蒔いてきたが、果たしてどの程度効力があるのか。一応の抵抗を試みている最中だ。
2022年4月26日
上記はイノシシが道ばたを鼻で掘り返しながら歩いている跡。
山萩 2021年9月26日三勲神社跡
秋を代表する花。萩の塚の名前の由来になった花だが、残念なことに萩の塚周辺には見られなくなってしまった。三勲神社周囲とソロプチミストの丘にはまだ山萩が見られるので、萩の塚に移植して株分けできるような萩を捜していたが、ソロプチミストの丘に本当に大きな萩が有るのを見つけた。
大きな萩から別れた株によって茂みの一翼を形成している。
株分けできそうな株を見つけることが出来た。(下の写真)
株分けは萩の本体が損なわれるわけではなく、萩を増やす方法としては本来株分けによるもののようである。同じ山の萩をA地点からB地点に株分けして移植する事に対してうるさく批判する方もあるだろう。しかしかつては萩の塚周囲にも萩が沢山咲いており、たかが数十年で植生が変わったことも人間の関与と言えなくもない。
そこで根が冬眠している2022年2月20日株分けを行って萩の塚に移植をした。
萩の塚に移植した萩 2022年5月12日
無事に育ってくれることを祈っている。
春
シャガ 萩の塚にて 2022年4月14日
2022年4月14日
塚正面に向かって右側にポツポツときれいな花が咲いている。市中でも時に見かける花だが名前が分からない。兄がシャガと言う花だと教えてくれた。きれいな花だ。
また、シャガの間にゼンマイが顔を出している。これはあまり食べれるような顔をしていない。
2022年4月10日
塚のすぐ前の斜面には桜のひょろ長い大木が2本ある。塚正面の左右と言う絶好の場所である。おそらく人の手によって植えられたのではないかと想像する。たぶん山桜なのだろう。ソメイヨシノに比べると派手さは無いがなにせ背がひょろ高い。20メートルはありそうだ。山中塚の前庭での花びら掃除は粋である。
だが花のつきが今一つ悪いように思う。ひょっとして木の上の方まで蔓が巻いていて木を締め付けているのが原因かも知れないと思い、花が咲き終わった後に蔓の根を全部切ってみた。来年の咲きは違うだろうか。
ひょろ長い山桜の下部分 2022年5月22日
三勲神社跡地の山桜 2022年4月10日
ソロプチミストの丘に咲く八重桜 2022年4月10日
やまつつじ 2022年4月21日
萩の塚正面に小さなつつじが1本だけ境界の杭に沿ってある。この杭は斜面に沿って3段になっており人為的に木が植えられているので、おそらくこのツツジは人が植えた物と考えられる。種類はわからないがヤマツツジということにする
萩の塚正面は踊り場ように平坦。斜面との境界杭が見える。
この杭は花壇のように3段になっていて、植樹がされているようだが、市の管理者が植えたものか、萩の塚衆が植えたのかもしくは両者の植えたもの混ざってあるのかはわからない。
2022年1月16日
ソロプチミストの丘に咲く平戸つつじ 2022年4月10日
名前がよく分からない花 2022年6月
名前がよく分からない花 2022年6月
夏
クチナシ 2022年7月7日
萩の塚から見て左側にの杭のある花壇部分にあり、おそらくは人の手によって植えられたものと思われる。
冬
萩の塚南坂を降りた出会いにある椿の森 2022年3月25日
この椿の森は公的な管理者によって植えられたものである。
かつてここは塚衆が真っ暗闇の中で体操したり、詩吟を唸ったりする場所でもあった。
この記事については継続して加筆するつもりである。 以上