萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

萩の塚を照らす朝の光。

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春から秋にかけて、塚衆は塚の前で抹茶を飲むことも多かった。しかし近年は塚の入り口近くまで笹が進出する状態で、見かねて数ヶ月前に大分刈り込んだが、昨日さらに刈り込んだので元有った境界線の杭が出てきた。

 

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笹は根が強く蔓延る為強力な除草剤を蒔きたいところだが、周囲の木にまで影響を及ぼすのでそれも出来ず、伸びては刈るというイタチごっこをせざるをえない。その頑張った結果が、もともと古い草刈りバサミだが柄がボキッと折れるという悲惨なことになってしまった。

 

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それでもかつての広さまでざっとであるが広げたので、あとは時間をかけてリュックに入る30センチほどの小さな鍬でもって表面の土をならしていくつもりだ。さすがに大きな鍬は桃畑の中を上を向いて歩くのに似て、街中山中共に持って歩きにくい。第一そんな大きな鍬自体持っていない。

あらかた鍬で地ならしが出来て格好がつくぐらいになったらまた紹介できるだろう。

 

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塚の前をあらためて眺めて見ると

「あーそうだったなー」と以前の感覚と風景が蘇ってきた。萩の塚は尾根に造られていて、谷を挟んで向かいに見える旗振り台の尾根から太陽が昇ってくる。それを塚衆らと眺めたものだ。ただし今は前面の木が大きく育ってしまい谷や向かいの山の景色を遮ってしまっている。

 

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萩の塚をはじめ操山には古墳が130基ほどあるらしい。尾根の頂には大抵古墳があると思って良い。現代の技術でも自動車やブルの入る道がなければ、例え操山のような低山でも巨岩を尾根スジに運ぶのは困難だろう。当時そこまでして尾根に古墳を造ったのには何か意味があるはずだ。

その意味の一つが眺めの良さにあると思える。

埋葬者が造営当時に求めた景色は、周辺の木を刈り込むことで谷を望み、向かいの山の緑なす稜線と広がる平野に移りゆく空であったろう。しかしこの景色は人が手を入れないかぎり長続きせず、すぐに木々に覆われて見えなくなってしまう。

 

 

冬場凍てついた真っ暗な中を、懐中電灯の灯りだけを頼りに萩の塚にたどり着くと、囲炉裏の火と抹茶の一杯が迎えてくれてやっと体が温まってくる。やがて塚衆の背景が白々と変わり朝陽が差し込んで来る。萩の塚に差し込む朝日は格別である。

 

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歳を重ねて残り少なくなってきた人生を、肉体に鞭打ってやっとのことで萩の塚にまで登って来る。そこでの会話に老人達の笑顔が塚からこぼれる。およそ80年の人生で,

様々な事を経験して行き着いた桃源郷。これこそ萩の塚の風景だ。

 

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