前回書いた記事から10年が経ってしまった。
萩の塚に登り続けた父守屋正直が、2020年 令和2年10月12日に百歳で他界した。私は父が亡くなってから、父を想うと萩の塚が、萩の塚を想うと父が重なる。その気持ちをより強く感じるようになった。
父が数十年間早朝4時に萩の塚に行くのを感心はしても、滅多に一緒に行こうとはしなかった。
しかし父が亡くなってからどうも萩の塚のことが気になるようになった。
今年もそろそろお盆の時期となるが、萩の塚も夏場は塚の上が気持ちいいので、嘗て塚衆の面々は塚の上にゴザを敷いて座り
抹茶を飲み談笑していたのだが、今の萩の塚の姿は折れた幹が塚の上にぶら下がり、丈の低い木の間に雑草が生い茂って、塚の上が気持ちがいいなどと言った昔とは見る影もない有様である。
萩の塚の入り口に岡山森林管理所と岡山市教育委員会連盟の立派な看板が据え付けてあるが、塚衆が管理していた往事の萩の塚の姿は上記のような有様で、文化財保護とか、管理所とか名ばかりの状態である。
父が亡くなってから萩の塚に一人行くようになり、面々に抹茶を点てる気持ちで喫茶をしているが、荒れた萩の塚を見るのは忍びがたく、
ついに意を決して先週は2度清掃をおこなった。
萩の塚は。明治大正生まれの人生の大先輩方の人生のオアシスだったのである。
私が元気で登れる間は大切にしたいと思っている。