萩の塚通信

岡山市の操山にある古墳の一つ「萩の塚」に関した様々を綴っております

初夏の萩の塚へ  いざ出発!


夏至の時期は朝4時台に日が昇るので、目覚ましの鳴る4時前に起きて支度をするようになった。

服装は木々の枝切りやダニ蚊などの虫さされに備えて真夏でも長袖長ズボンを着る。特に数年前から操山にイノシシが出るようになり、暑い時期だがマダニ対策の服装は必須である。

奈良に住んでいた30代の一時期。登山や沢登りの愛好家グループに入って、秘境と言われる大台ケ原山系や大峰山系あたりに連れて行ってもらったことがある。そこで沢山の山蛭が立ち上がって飛びかかろうとする様や、木の上から蛭が降ってきたり、気付かぬまま靴下に入りこむ山蛭の恐ろしさを知らされた。

シカのぬた場やササの茂みにはマダニが居る。万が一噛まれた場合には不用意にダニを手で取るとダニの頭が体に食い込んで残ってしまう。決して手では取らずタバコの火で焼いて殺さないといけないことを教えられた。

操山は都会の山だが、都会に近い奈良の若草山の径にも山蛭が居る。これは鹿が温床になっての事だろうが、操山にイノシシが住むようになると、山ヒルはまだしもマダニが増えることは考慮して歩くべきだろう。私はルート上で径に笹が伸びている所はイノシシによってダニが着くおそれもあるのでなるべく剪定バサミで笹を切っている。

 

 

さて話が逸れたが、起きたらまず湯を沸かしてポットに注ぎ、冷蔵庫から抹茶とお菓子を出して、抹茶茶碗茶筅茶杓と一緒にタッパーに詰める。

 

 

抹茶菓子は頂き物があれば良いが、いつもはスーパーで日持ちのする塩饅頭や甘納豆などの干菓子を買う。表千家のお師匠さんが「普段の抹茶は安物で十分」と言われたので、スーパーで買ったものを冷蔵庫に保管している。

リュックにはそれら以外に剪定バサミや枝切り鋏にノコギリとスコップ、懐中電灯などを詰め込んでいる。

 

 

それら一式をリュックに詰め帽子とセットにして廊下に置く。

 


用意が出来ると仏壇の前で蝋燭と線香に火を点けて数分間先祖に手を合わせ、祖父と父には「一緒に萩の塚に行きましょう」と声をかける。

父が亡くなるまでの私は仏壇の前に座って拝むなど盆と正月ぐらいであった。しかし父が亡くなって以後、母の体が不自由なこともあってお茶湯をするのが私の日課になった。しかし今はそのことを当たり前に楽しんでいる。

 

父の偉い点は多々あるが、少なくとも数十年間毎日3時に起きて長時間お祈りとお経を上げたこと。そして数十年間萩の塚へ行ったことの2点は真似の出来ないことである。

 

 

さて玄関で登山靴を履くと、ウオークマンの片方が壊れたイヤホンを右耳に突っ込み、左耳で外界の音を聞く。もちろん護国神社や萩の塚に着くとイヤホンは外すが往復は決まってZARDの Foreever Bestを聞いているともなくかけている。これは聞き慣れているので音楽を聴くという気持ちを持たないでいられるからだ。

 

玄関の外で携帯用の蚊取り線香に火を点けて虫除けスプレーを体に撒く。

 


ちなみに蚊取り線香の匂いをイノシシは嫌うらしい。そして杖と蜘蛛の巣取りの細い枝を持って、4時20分頃に家を出て護国神社脇の登山口へと向かう。

 

蜘蛛の巣取りの小枝であるが、この季節は顔の前に細い枝をかざして歩かないと、まともに蜘蛛の巣が顔にへばりつくことがあるので必携品である。誰かが通った後ならいいが、萩の塚衆も居なくなった今は朝4時台蜘蛛の巣の犠牲者になるのは私である。

 

杖は万が一イノシシとの遭遇時に備え、父の介護時に使っていたしっかりとしたものにしている。もし遭遇したら相手の目を見ながらゆっくりと離れるつもりだが、遭遇しないためにリュックに付けた小さな鈴と蚊取り線香、それに杖を着く音をわざとさせながら歩いている。

 

 

       杖と蜘蛛の巣除けの枝

 

 

奥市の野球グラウンド手前あたりには決まって野犬が居て必ず吠えられる。また2度ほど野犬が萩の塚にまで来たことがある。おそらくいつもは墓の辺りにいて人から食べ物をもらったりしているのだろうが、時には山中にまで上がってくるようだ。

最近この野犬に子供が3匹出来た。野犬も親の方は私が近づくとこそこそと逃げるが、子犬の方はまだあまり人間の怖さを知らないと見えて、比較的近くまで来て可愛く吠える。しかしどのみち野犬の家族にイノシシを追っ払うことを期待することは無理だろう。

 



さて、山に入る前に、まずは護国神社正面鳥居の手前でリュックを下ろし、ウオークマンのイヤホンを外して参拝をする。それから萩の塚へと向かうことにしている。

家を出てからここまでほぼ20分が経過している。

 

 

 



 

今日は山に入ってすぐの所で驚いたことにカブトムシを見つけた。朝4時台の暗がりで

暗色のカブトをよくも見つけられたもので、たまたま目をやった地面をガサゴソ歩いていたのだ。操山でカブト虫などついぞ見かけたこともない。もちろん背中を撫でただけだがラッキーであった。

 

カブトムシ  写真は朝4時台の山中なので暗い

 

 

さて、以前にも書いたが登山道を5分ほど歩くと、伊木忠榮室荒尾氏の墓と書かれた300年程前に建てられた墓が一基だけ道の下に立っている。名前は系図から於利津と推測されている。

 


なので、真っ暗な時期は懐中電灯で墓を照らして「リッちゃん。萩の塚に抹茶を飲みに一緒においで」と声をかけている。

 

たまに雑草や落ち葉がひどいと気になるので、勝手に掃除をしている。

 

 

このあたりはもっと沢山墓があった痕跡があり、この場所を通ると自身の肉体のある今の日常を、ホタルやセミのように短い一瞬の出来事だと思わされる。

 

特に真っ暗な時期の山中は日頃の日常には無い空間であり、現世での価値観や世界観とはまったく違った中に自分を置くことが出来る。

 



 

般若心経では全ての形有るものは実体が無いと説かれている。

普遍の生命が一瞬肉体というすぐに壊れてしまうものを身につけて現世に現れる。墓の住人も、父や萩の塚衆の面々も、そして私も、実体の無い世界の住人と言う点では変わりない。

時間も空間も無いとすれば令和も江戸もこの世もあの世も関係ない。だから抹茶を飲みに誘ったり、父に話しかけたりもするのである。私に霊が見えるわけでも霊感が有るわけでもないし、そんなことなどどうでも良い。

 

肉体の存在する一瞬の今をしっかり味わって「一日一日を大切に生きなければ勿体ない」

ここを通る度にそれを自分に言い聞かせている。

 

萩の塚の行程は、このように日頃の仕事やストレスに追われる日常では考えないようなことを考える貴重な時間と言える。

 

 

さて、クスの森を抜けたあたりから坂が始まり、5分ほどで出会いに着く。

出会いに着くと父は体操したり詩吟をうなっていたが、私は交差するそれぞれの道に向かって「おはようございまーす!」と大声で叫んでいる。

 

 



この出会いから萩の塚に至る南坂の登りはきつい。父はこの行程を94歳まで登ったのだから本当に大したものだ。

 

 



 

もちろんゆっくりゆっくり休憩しながら登って行く。私もその同じ径を歩きながら、父が決まって腰を下ろした木の根方や段差に来ると「お爺ちゃんここで休む?」と父に声をかける。萩の塚への行程には父が必ず同行している。そう思っている。

 

     萩の塚からの日の出

 

 

 

やっと萩の塚が見えてくると

「おはようございまーす! 塚衆の皆さん圭吾でーす!」

と大きな声をかける。

萩の塚衆が元気な頃は、こう声をかけると塚の中から

「おお!圭吾君 こっちに座られー」そう言う声が返ってきた。

 

今は萩の塚に着くと杖と枝を木に立てかけてまずはリュックを下ろす

 



 



萩の塚は清浄な気に満ちた聖域である。来る度にそう感じる。帽子とイヤホンを外し、塚に向かって今日もよろしくお願い致しますと拝礼をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



それから抹茶道具を出し、抹茶茶碗茶杓で一杯半抹茶を入れてポットから熱い湯を注ぐ。暗い時期は懐中電灯で茶碗を照らしながら湯の量を確かめ、茶筅で細かな泡が立つように混ぜると完成。作法など全くない。

 

 

 

 

 

献茶し、しばらくの間私は剪定バサミで笹を切ったり剪定したりホコリの立たない作業をして、一段落したらそのお下がりをいただくようにしている。

 

飲み終えると道具を片付けて、今度は萩の塚の掃除にかかる。

 

 

 

 

 

 

掃除が終わると塚に手を合わせる。そして「一緒に帰りましょう」と声をかけて帰る。

 

萩の塚は日常生活とはかけ離れた空間であり時間を持てる場である。そして清々しい気持ちで帰路の途につくことが出来る秘密の場所である。

 

 



 

 

 

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